ごくごくあたり前のこと

十九歳




「こ…これで、終わりだ…っ!」

ディーノは手にしていた万年筆を置くと同時に、机に突っ伏した。
そんな主の様子を気にとめることなく、彼の右腕であるロマーリオは、
ヨロヨロとした手つきで渡された書類を手にとった。

「…確かに。お疲れ様でした」

内容にざっと目を通し、既に手にしていた書類の山を確認するとゆっくりと頭を下げた。

ガタンッ

ロマーリオが頭を上げるのと同時にディーノは執務机から立ち上がった。

「…」
「部屋にいますよ」

立ち上がったディーノの顔を見て、ロマーリオは短く一言そう告げる。

「…そうか」

それを聞くとディーノは軽く頷くとやや足早に扉へと向かい、そのまま出て行った。

「後は頼みます」

開け放された扉に向かってロマーリオは小さくそう言うと書類を抱え直し、
執務室の電気を消して自室へ戻るべく扉を閉めた。



バンッ

「わっ!」

突然開かれた扉には驚いた声を出した。
危うく手にしていた本を落とすところだった。

「ディーノ!」

ノックもなしに扉を開けた人物の名を口にする。
は本を机に置くと立ちあがり、彼を出迎えた。

「仕事終わったの?」
「…」

彼女の質問が聞こえているのかいないのか、ディーノは無言のままに近づいた。
そして、そのまま包むように抱き締めた。

「…ディーノ?」

反応のないディーノを抱き締め返しながら改めて呼びかける。

「……」
「はい」
「…疲れた…」

ぎゅーっと抱き締める手に力を込めてディーノは一言呟いた。

「はは。お疲れ様です」

苦笑しながらも、労うようにはポンポンとディーノの背を叩いた。
ここ数日、溜まっていた書類を片付けるため缶詰同然で執務室に篭っていたのだ。
二人が顔を合わせるのは何日かぶりだった。

。もっと顔をよく見せてくれ」

ディーノは抱き締めていた腕を解くと、愛しい妻の顔を両手で包み込む。

「どうしたの?」

くすぐったい言葉に笑顔を零しながらは尋ねた。

に会うのが随分久し振りな気がする…」

ディーノは愛おしそうにを見つめる。

「私もディーノに逢えて嬉しい」
っ」

コツンと額をあわせてディーノはふわりと大輪の笑顔の花を咲かせた。

に逢うと元気になるな」
「普段は毎日逢ってるよ?」
「だから毎日元気になるんだ」
「そうなの?」

ディーノの言葉にはクスクスと笑った。

「それにしても…疲れた…」

に凭れるようにディーノは体を傾けた。

「少し休む?」
「あぁ…」

ディーノを受けとめながらが尋ねると、
何処か眠たそうな返事が返ってきた。

「…そうだな…」

そう言うとディーノは急にを抱き上げた。

「えっ!ディーノ?!」
「うん」
「うん、じゃなくて!」

思わずはツッコミを入れた。

「良いから」

妻の言葉をスルーしながらをベッドへ横たえると自分も其処へ上がる。

…」
「はい?」

向き合うように隣りへ陣取ると、ディーノはの名前を呼んだ。

「俺は、疲れてる…」
「うん」

は素直に頷いた。
確かに、今日の彼は目に見えて疲れている。表情からもそれが分かる。

「だから、が…俺を癒してくれ…」
「えっ」

そういうとディーノは驚くを他所にゆっくりと目を閉じた。

「疲れがふっ飛ぶようにさ」

口許に笑みを浮かべながらディーノは付け足した。

「…」

目を閉じているディーノをはジッと見つめて考える。

「ディーノ」

優しく名前を呼ぶと、は僅かに移動し、
その位置を変えると、ディーノに自分の体を寄せた。

「…」

ディーノの耳に規則正しい命の音が届く。
一定のリズムで刻まれる、心臓の音にディーノの体から力が抜けていく。

「心臓の音を聴くと落ち着くんだって」

は胸元にある、金色の髪をゆっくりと撫でた。

「そうだな…の…心臓の音を聴くのも、久し振りか…」

鼓膜を伝って響いてくる音と、ゆっくりとした
速度で撫でられる感覚がとても心地良い。
伝わる体温はとても温かくて、疲れている時は
尚のこと、人の温かさに敏感になる。

「少しは、元気になれそう?」

ディーノの髪を撫でながらが尋ねた。

「…あぁ…疲れが…ふっと…」
「…ディーノ?」

途切れ途切れに聞こえていた声が、途中から消えては彼を見た。

「…寝てる」

の腕に抱かれて、ディーノは規則正しい寝息を立てている。

「…お疲れ様…」

はふわりと小さく笑ってディーノの髪にキスを落とす。
ロマーリオの話では、書類の山と闘うために、睡眠時間を相当削っていたようだ。

「明日は、一緒にご飯食べようね」
「…ん…」

そう言ってがキュッとディーノを抱き締めると、
それに応えるようにディーノの腕がを引き寄せた。


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