男のプライド、女の意地

十九歳




 どうして、こんなことになってしまったのだろうと、は大きな溜息をついた。
 彼の力になれる大人の女性になりたかった。
 自分の所為で、彼が傷つくなんてことのないように、自分を守れる力が欲しかった。
 ただ、それだけだったのに……。




「ディーノさん、お願いがあるんですけど……」

 休憩中のディーノの部屋に、が現われた。お願いと言われ、ディーノはなんだろうかと思いつつも、をソファに座らせ、自分も隣に座る。

「お願いってなんだ?」

 愛する妻の頼み。ならば、自分ができることであれば、できるだけ叶えてあげたい。

「えっと……その……」

 言いにくそうにしていたが、はまっすぐディーノを見て、はっきりとした声で言った。

「私に、銃の使い方を教えて下さい」
「……だめだ」

 少し間があったものの、ディーノの返答は、ほぼ即答に近かった。

「どうしてですか……」
「銃なんて持たなくても、のことは俺と、ファミリーの皆が守るから」

 武器を持てば、いずれは使わなければいけない場面に遭遇する。それは本人の意思に関係せずにだ。
 マフィアのボスをしていれば、汚いことだってしている。それこそ、ディーノの手は血で穢れている。でも、いや、だからこそ、にはそのままでいて欲しい。

「それでも、最低限、自分自身を守る力が欲しいんです」

 の言い分が分からないわけではない。しかし……。

「それでも駄目だ。銃は人殺しの道具なんだ」
「それは、分かってますっ!」

 は諦める気がないようで、尚、食い下がる。
 まっすぐディーノを見つめるの、真剣な瞳に、一瞬揺らぐ。

「……駄目だ。には必要ない」
「それは、大人しく守られてろってことですか」
「……ああ……」
「じゃあ、自分の無力さを実感しながら、目の前で傷ついていく人を見てろってことですか」
「そんなことは言ってないだろ」
「そういうことじゃんっ!」

 は、涙を溜め、声を荒げる。

「銃が使えれば、事態が好転するかもしれないし、傷つく人だって少なくなるかもしれないし、なにより、最低限身が守れれば、足手まといになることもないじゃんっ!」
「だからって、が銃を持ってそうなるとは限らないだろっ! マフィアとはかけ離れた日本にいたんだ。平和な日常を送ってた人間が、いざって時に銃が使えるわけねぇ!」

 引き金を引くには、相当の覚悟がいる。そして、は、平和で、治安も比較的良い日本に最近まで住んでいたのだ。そんな娘が銃の引き金を簡単に引けるとは思えない。仮に引けたとしても、精神的なショックは受けるだろう。
 ディーノは、初めて銃で人を撃ったあの感覚を、彼女に味合わせたくはなかった。

「つまり、銃が有っても役立たずってこと」
「そういう意味じゃねえってっ!」

 役立たずだなんて、思わない。むしろ、その反対だ。彼女がいることで、ディーノは一体どれほど救われただろうか。
 こんな稼業をしてるから、自己嫌悪に陥ることもあるし、悪夢にうなされることもある。でも、そういう時に彼女が傍にいてくれるだけで救いになっているのだ。

「じゃあ、どういう意味っ」
「それは……」

 一瞬言葉を躊躇った。伝えたところで、きっと、それは戦力としてではないということだから。
 しかし、それが、には答えられないと感じたようで、先ほどの「役立たず」という意味が外れていないかのように伝わってしまった。

「…………部屋に戻りますっ!」
っ!」

 実際にディーノがそう思っていたわけではないが、ディーノに「役立たず」だと思われていたと思い、は明らかに傷ついたであろう表情をしていた。
 名前を呼び、慌てて引きとめようとしたが、すでに遅く、バタンッと扉が閉められ、ディーノがドアを開いても、廊下に彼女の姿はなかった。
 ディーノは部屋に再び戻り、ソファーに崩れるように、腰を下ろす。
 こんな危険な世界に、を連れてきたのは、他でもないディーノだ。彼女は最初のプロポーズで受け入れてくれた。だが、たとえ彼女に断られていたとしても、きっと諦めきれないディーノは、何度も何度も、それこそ、彼女が了承してくれるまでプロポーズしてたに違いない。
 つまり、この世界に結局連れてくることになっただろう。
 それなのに、彼女に銃の一つも持たさないなんて……。我ながら、酷いなとディーノは思った。
 それでも、の手が血で染まるところは見たくない。それが、他人の血でも、彼女自身の血でもだ。はなんとしてでも守る。それは、と正式に付き合う前から、ディーノが決意していたことだ。
 そして、彼女を守るのは、銃でも部下でもなく、自分でありたいとも思う。
 四六時中一緒になんていられないのに、それはディーノの我侭であると自覚はしているのに……。
 ノックと共に、右腕であるロマーリオが入ってきた。彼は、書類を執務机に置く。

「ボス、痴話喧嘩とは珍しいな」
「うるせーよ」

 新婚だからというのもあるだろうが、ディーノとは周囲が呆れるくらい仲がいい。だから誰もが喧嘩とは無縁だと思っている。

「さっさと仲直りしてくれよ。じゃねえと、俺らが大変なんだからよ」
「分かってるって」

 本当は、のことが気になって仕方がない。しかし、きっと、今行ってもまた喧嘩になるだけだと、ディーノはロマーリオが持ってきた書類に手を付けた。




が部屋から出てこない?」

 喧嘩から三日が経っていたが、ディーノはと顔を合わせていなかった。食事のときもディーノが出かける時も、彼女は顔を見せなかった。
 はだいぶ怒っていたから、きっと、ディーノを避けているのだろうと思っていた。
 しかし、少しばかり違うらしい。

「はい。お食事も取られていないようで」

 部屋に篭ってから、は一度も外に出ていないらしい。それどころか、用意した食事も手を付けていない。
 それで心配になったメイドがディーノに相談してきたのだ。

「ボス。溝が深くなる前に、嬢ちゃんと話たらどーだ?」

 ロマーリオの表情は部下からの助言、ではなく、年長者からのアドバイスといった様子だった。
 世の中の離婚する夫婦は、こうやってすれ違って別れていくのだろうと、ディーノは思った。しかし、ディーノは彼女と別れる気なんてない。
 そして、ロマーリオの言うとおり、話し合う必要がある。

「……部屋に行ってくる」




 は部屋のベッドに横になり、ぐるぐると考える。考えるといっても、同じようなことしか考えられない。堂々巡りだ。
 コンコンッ。
 ノックの音。また食事を運んできてくれたのだろうか、とは思った。しかし、食欲はない。というか、何も口にしたくない。
 メモにもう食事は運んでこなくていい、と書いておこうかとドアに近づく。

……」
「……っ!」

 思ってもみなかった人の声に、の動きは止まる。

……ここを開けてくれないか……」

 はドアを見つめたまま動けない。
 開けるべきだろうか。でも、あんなに挑発するようなことを言ったのだ。もしかしたら嫌われてしまったかもしれない……。

「話をしよう。今度は冷静に、落ち着いて。俺は、このまま駄目になってしまうのは嫌だ」

 ディーノの言うとおり、あんな終わりは嫌だ。
 そう思って、はそっとドアを開ける。
 外を見れば、一瞬だが、目が合った。その時点でもう、は動けない。
 ドアは、ディーノにそーっと開けられた。
 ディーノの顔を見た瞬間、いろいろな感情が一気にこみ上げてきた。
 謝りたい……。
 分かっても欲しい……。
 嫌われたくない……。
 傍にいたい……。
 一気に出てきたものだから、感情が入り混じって、何も言えなくて、は視線をディーノから外した。

「…………

 名前を呼ばれ、の心臓が跳ねる。トキメキなんて甘いものではなく、チクリと痛むという方が近い。

「ディーノ、さん……」

 ディーノはをソファーに座るように促す。
 は促されるまま、ソファーに腰を下ろす。もちろん、ディーノは隣に座った。
 何を言えばいいのだろうか。言いたいことはいっぱいあるのに、胸が詰まって何も言えない。

「……ディーノさん……ごめ」
「謝らなくていい」

 ディーノは、の言葉を遮った。

は悪くないんだ……。マフィアのボスの妻が銃を持つのは普通のことだし、の言い分は正しい」

 は、ディーノの話を黙って聞いている。

「だけど、俺は、出来る限り、マフィアなんてものと関係のない生活をして欲しかったんだ。連れてきたのは俺なのにな」

 ディーノは自嘲気味に笑う。

「ディーノさんと、結婚するって決めた時、私なりに、いろいろ考えたんです」

 はポツリと話し出す。ディーノは何も言わず、を黙って見ていた。

「マフィアがどんなものかなんて、小説とか、映画の中での知識しかないけど、それでも、その世界に足を踏み入れることになるから。少しでも、覚悟を決めておかなきゃって思ったんです。」

 は俯いて、ぎゅっと拳を握る。

「きっと、命のやり取りの場面に、遭遇することはあるだろうし、ひょっとしたら、私自身が命を落とすことだって、あるかもしれないし。……それに…………私の、目の前で……ディーノさんが……」

 そこまで言って、は言葉を止めた。言わずとも、きっとディーノには伝わっているはずだ。できれば、この先の言葉は言いたくない。予想や仮にという話だとしても、言葉にはしたくない。

「だから……そういう、想定できることは覚悟して、それで、ディーノさんの所に来たんです。でも、何もできずに、手を拱いて、守られるだけじゃいけないって、ずっと思ってたんです。少しでも、貴方の助けになりたいんです」

 が危なくなれば、ディーノはもちろん、キャバッローネの人々は、文字通り命を懸けて、守ってくれるだろう。でも、それではいけないと思ったのだ。
 自分が、キャバッローネの、ディーノの弱点になるわけにはいかない。

「ごめん、はそこまで考えてくれてたのに……」

 は、ディーノに抱きしめられた。抱きしめるというよりも、に縋り付いているようにも感じられる。

「俺は、が、こっちの世界に染まってしまうのが、嫌だったんだ。俺の手は穢れてしまってるけど、には綺麗なままでいて欲しいんだ」

 は、顔を上げて、ディーノを見る。

「ディーノさん、私はキャバッローネの、ディーノさんの業を一緒に背負うって決めたんです。それに、何があっても、私は私です。貴方がいれば、私は私のままでいられるから」
……」

 ディーノは再びを抱きしめる。

「一つだけ、約束してくれ」
「はい」
「何があっても、誰かを犠牲にすることになっても、必ず生きてくれ」
「……はい」

 答えたは、強く抱き締め返した。




 しばらくは、抱き合ったままでいたが、どちらかともなく、抱きしめた腕を緩め、お互いの顔が見えるようにする。

「やっぱり、まだまだ私は子供ですね」
「どうしてだ?」

 を可愛いと思ったことはあっても、子供だと思ったことは一度もない。それに、時には、自分の方が子供なのでは、と思う時すらあるというのに。

「喧嘩して、部屋に閉じこもって、なんて、子供のすることじゃないですか。結局、仲直りのきっかけを作ってくれたのは、ディーノさんからだし」
「そんなことはねえよ。原因は俺の我侭なんだ」

 は、キャバッローネの、自分のためを思ってくれていたのに、ただディーノの我侭のために、彼女に身を守る術を与えなかった。
 ディーノが大人であるというなら、結婚したときから、身を守る術を与えただろう。
 それに、ディーノから仲直りをしてきたと言っても、それは、ロマーリオに言われたからというのもあるのだ。

「でも、最初に、喧嘩腰になったのは私だし。カッとなると、抑えられなくなるなんて、ホント、子供」

 それは、ディーノも一緒だ。冷静さを欠くと、ファミリー全てに被害が及ぶから、普段から、冷静さを保つようにしている。しかし、ことに関しては、冷静でいられないことが多い。

「いいよ、はそのままでいて欲しい、たまに喧嘩するくらいがちょうどいいと思うぜ」
「ほら、やっぱりディーノさんは大人だ」

 そういって、少し拗ねたようにするを、ディーノは本当に愛おしいと思った。

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