天壌無窮

十九歳




「…ふぅ…」
「大丈夫か?

小さく息を吐いたに、ディーノは心配そうに顔を覗き込んだ。

「うん、大丈夫」
「悪ぃな、あと少しだからな」
「ううんっ!そんなことない」

苦笑するディーノには慌てて答えた。

「だって、ディーノさんだけのことじゃないですし…」
「あぁ、そうだな。
 、呼び方」
「あ」

頷きながらもディーノはの言葉を軽く注意する。

「…ディーノ」
「そう」

訂正したにディーノは優しく笑う。

「いくぞ」
「はい」

が自分の腕に手を添えたのを確認すると、ディーノはゆっくりと歩き出し、
近くにいた身なりの良い紳士達に声をかけた。


高校を卒業してイタリアでディーノと式を挙げ、
晴れて『キャバッローネ夫人』の称号をその身に纏ったではあったが、
イタリアに本格的に移住した彼女を待っていたのは怒涛の様なスケジュールだった。
ディーノに誘われ旅行でイタリアに来ていた時とはワケが違う。
ディーノの妻になるということは、数多の部下を持つ
キャバッローネの代表格になるということだ。
一般市民から巨大組織の代表格へ。
覚えることは山の様にあった。

語学は当然ながら、食事や日常におけるマナー、
ダンスや話し方に関する分野まで幅広く習得しなくてはならなかった。
三月に式を挙げてからこっち、は最低限のことを徹底的に叩き込まれた。
ディーノに恋をしていた中学高校の期間にイタリアの文化などは
大よそ書籍やネットを通じて知識を得ていた。
気になる物事はとことん調べるのがの性格だ。
そして高校では獄寺に頼み込んでイタリア語の指導もしてもらった。
相変わらず巻き舌発音は出来ないが、それでも話せる語彙は増えている。

だが、知識があるのと実践するのはまた違う。

時々カルチャーショックを受けつつも下積み知識があることが幸いし、
は次々とそれらを習得していった。
イタリアそのものにも興味はあるし、何よりそれを習得することが
ディーノへと繋がる事実がを意欲的にしていたのだ。
そして、その教養習得の合間に社公場で身につける衣装の準備もされていた。
頻繁に行われるものではないが、伝統と行事を重んじるイタリアには様々な祭典がある。
その度ごとにお祝いをするのもまたイタリアなのだ。
そしてこの日もディーノと一緒になって幾度目かのパーティーだ。


「やぁ、ディーノ。結婚おめでとう」
「あぁ。ありがとう」
「そちらが君の妻の…?」
「えぇ。そうです」

ディーノに目を向けられては習得した通り紳士に対して挨拶をする。
このやり取りも、もう何度も繰り返して来たことだ。一通り挨拶をして、簡単な談笑をする。
話せるイタリア語も聞き取れるイタリア語もまだ、あまり多くはない。
時々ディーノにフォローを入れてもらいながらの会話だ。

「お疲れさま」
「うん…」

ディーノの言葉には小さく頷く。
要人達との挨拶も済ませて、二人は壁際へと移動した。
ディーノに手を添えられて置かれていた椅子に腰掛ける。
ドレスがふわりと風を受ける。
このドレスも夜会に合わせて作られたものだ。

「少し疲れたか?」
「ううん、大丈夫」

そう言っては軽く笑う。

「もう少ししたら落ちつくから」

ディーノはの顔に触れる。
ここ連日の勉強と夜会続きでには疲れが出ていた。
キャバッローネボス、ディーノの結婚。
そしてその相手は東洋人。
その事実は思っていたよりもマフィアや交易相手に衝撃を走らせたらしい。

「こんなに大変だとは思ってなかった…」

グルッと会場内の人を見ては言う。
広い広間には色とりどりの服を身につけた人がたくさんいる。

「結婚すると大体こんなもんだ。お披露目みたいなところもあるからな。
 本来は頻繁に行われたりはしないんだ」

ディーノも同じように周りを見る。

「みんな華やかだなぁ…凄く、綺麗」

どう見ても自分よりは年齢が高くて、
どう見ても自分より綺麗で、
どう見ても自分より華やかに見える。

「あぁ。けど…」

ディーノは頷きながらを見た。

が一番綺麗だ」

そう言っての頬に軽くキスをする。

「ディーノ…」

の体温が僅かに上がった。


「ディーノッ」


二人で話をしていると声をかけられた。

「あぁ」

相手とはやや距離があったが、その人物はディーノの知り合いのようだ。
軽く手を挙げる。

「少し良いかしら?」
「ん?いや…」

女性の申し出にディーノは断わる仕草をしようとする。

「ディーノ、行ってきて」

は慌ててディーノの行動を止めた。

「けど…」

ディーノはを見る。
大切な妻を置いてその場を離れるのは気が進まないようだ。

「女性は大切に。でしょ?」
「…分かったよ。すぐ戻るから」

の言葉にディーノは頷く。
そして、頬にキスをしてからその場を離れた。

「ロマーリオ、を頼むぞ」
「はい」

近くに控えていたロマーリオに声をかけ、
ディーノは女性の元へと向かう。

「!」
ディーノを呼んだ女性との目が一瞬合った。
その時、彼女は僅かに笑みを浮かべる。

「宣戦布告だな」
「え?」

ロマーリオの一言には彼を見る。

「あの人はウチの交易相手の令嬢だ」
「へぇ…」

教養の習得が最優先で、主要な人物以外についてはまだ把握していない部分が多い。
これから先、マフィアや交易相手のことももっと勉強していかなくてはな、とは思う。

「ウチのボスはモテる」
「え、うん。それは思う」

ロマーリオの突然の言葉には頷いた。
連日の夜会で多くのイタリア人や外国人を見てきたが、
ディーノの気品や容姿の良さは群を抜いている。

「わりとマフィア間や交易間でも人気でな。
 しかもあの年で一人身だったろ?
 狙ってる令嬢も多かったわけだ」
「…」

は黙ってロマーリオの話を聞いた。

「だから、急に結婚しましたって話が広がって
 波紋が出来てる所も少なくないわけだ」
「…そっか…」

その相手は同じヨーロッパ系統ではなく、東洋人。
ヨーロッパ人の19歳と東洋人の19歳は見た目が違う。
東洋人は背の高さや顔立ちでどうも実年齢より幼く見えてしまいがちだ。
文化の違いや、育ちの違いなどではなく、白人と黄色人。
もっといえばコーカソイドとモンゴロイド。
先天的に異なる存在なのだから、仕方がないといえばそれまでなのだが。

「けどまぁ…確かにボスはモテるが、そんなボスは…」

言いながらロマーリオはを見る。

さんが思ってる以上にさんに惚れてるぜ?」
「えっ」

その言葉にの顔が赤くなる。

「多分、少ししたら呼ばれるだろう」

そう言ってロマーリオはディーノの方へと目を向ける。
つられる様にも目を向けた。




「最近ディーノってば商談の時に入室を許してくれないのね」
「あぁ。それな」

ディーノは苦笑して頷く。
彼女の好意はちゃんと分かっている。
だからこそ、以前は自分と交易相手である彼女の父親、
そして彼女、この3人で商談を行っていた。
その方が話を良い方向へと進めることが出来る。
自社も大切だが、親が子の言葉に弱いのは世の常だ。
そんな娘は全面的にディーノの味方だった。
それがある日を境にディーノと父親、二人での商談に変わったのだ。
その背景にあったのは

ディーノがに恋をした。

ただそれだけだった。

「突然の結婚なんて。彼女の存在があったのね」
「まぁな」

ディーノは彼女の目線を追うように軽くに目を向ける。
は隣りのロマーリオと話をしていた。

「これからも商談には呼んでくれないの?」
「…悪いけど、無理だな」

彼女の申し出にディーノは苦笑する。

「ディーノが彼女のことを愛しているのは分かるわ。結婚するぐらいだし。
 でも、私はそれでも良いの、愛人だって必要でしょ?」

この世界において、妻の他に愛人を持つマフィアや商人は少なくない。

「俺には勿体無いよ。君は凄く綺麗だし、持ってるセンスも格段に高い」
「私はディーノが良いのよ」

ディーノの言葉に彼女は一言添える。

「けど…」

そんな一言を聞きつつもディーノは後ろを向いた。
そして軽く手招きをする。相手は他ならぬだ。
そんな彼女はディーノの手招きを受け、一度ロマーリオを見上げた。
ロマーリオは笑みを浮かべて頷く。
すると、軽く手を差し出して、をディーノのもとまでエスコートした。

「どうしたの?」

話が見えないは軽く女性に挨拶をした後、ディーノを見上げる。

「恥ずかしい話だが、俺は以外に見えてない。
 誰もには、適わねーんだ」

そう言うとを抱き寄せ、唇にキスをした。

「ディーノさんっ?!」

人の目の前でキスをされては驚く。

「…見せつけてくれるわね…」

苦笑しながら話をしていた彼女はそう言った。

「他に誰かを受け入れるつもりは一切ない」

スッパリとディーノはそう続けた。

「…そこまで言われたら立つ瀬がないじゃない」

彼女はため息を吐いてそう言うと、未だに状況が分かってないに目を向ける。

「キャバッローネ夫人。、だったわね」
「えっ!はい」

流暢な日本語で声をかけられは驚いた。

「気をつけて。この世界は思ってる以上に貴女の敵が多いわよ」
「え…」

突然物騒なことを言われては面食らった。

「しっかりディーノ捕まえておかないと取られるっていってるの」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ」

彼女の言葉にディーノは慌てて口を挟んだ。

「努力は怠らないことね」
「が、頑張ります」

は真剣な顔で頷く。

「素直さは日本人の強みね」

ディーノを見ながらイタリア語で彼女はそう言った。

「ディーノにフラれた私は戻るわ」
「はは、悪ぃな」
「よく言うわよ」

苦笑して謝ったディーノに彼女は笑みを浮かべて
軽く二人に挨拶をすると、その場を離れた。

「女は強いなぁ」

ディーノは去っていく彼女を見ながら呟いた。



「な?俺の言った通りだろ?」
「うん」

壁際へと戻るとロマーリオがに声をかける。

「何の話だ?」
「いや。何でもねぇ」

尋ねるディーノにロマーリオは笑いながらごまかした。

「ディーノは何を話してたんですか?
 全部イタリア語だったからほとんど分からなかった…」

は途切れ途切れに単語を拾ってはみたものの、
いまいち全体の流れは分からなかったようだ。

「…天壌無窮の愛をに誓うって話だよ」

向日葵のような笑顔でディーノはそう言うと再びの唇にキスを落とした。


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