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高校一年
冬休み目前の放課後。寒風吹きすさぶ公園の中を、ディーノはと歩いていた。
現在、見えるところに部下はいない。園内をぐるりと囲うように全員配置についている。
キャバッローネの優秀な部下達は、並盛町のデートスポットにおける、ボスを守るフォーメーションのマニュアルを作成していた。
それを頭に叩き込み、ボスのデートの邪魔をしないようにしているのだ。
もちろん時には必要な邪魔もある。
何しろボスは大の男で相手は未成年の少女。いつボスの理性が暴走しても対応できるように、臨機応変さが求められる。
ボス大好き、ボスをからかうのはもっと大好きな部下達は、嬉々としてそれらに順応しているのだった。
「あれ何だ?」
遊歩道の一角に据えられた屋台を指差して、ディーノは隣のを見下ろした。
「たい焼きの屋台ですね」
のぼりと看板を見たは、そう言ってディーノを見上げた。
「たい焼き? どら焼きとは違うのか? ぅわぁっ!!」
「大丈夫ですか!?」
公園に入ってからというもの、なぜかディーノは転びやすくなってしまった。
そのたびには支えようと手を伸ばすのだが、ディーノがその手をとることはなかった。
を巻き込むまいとしてのことだろうが、ディーノと一緒なら転んでも構わないと思うので、は少し寂しかった。
けれど立ち上がる時に差し出した手は素直にとってくれる。
変に格好つけて強がらないところが、ディーノらしい。
今回は転ぶほどでもなかったようだ。ディーノは体勢を立て直すと、を促して屋台へと近づいた。
「餡をはさむのは一緒ですけど、皮の部分が違うんですよ」
「なるほどな」
鉄板上の型に流し込まれる種を見て、どら焼きの皮とは違うのだとなんとなく想像できる。
しばらくすると同じ型の鉄板で蓋をして、ひっくり返された。
屋台の主人は無口な人のようで、熱く手元を見つめる客にも眉一つ動かさず、淡々と工程を進めていく。その様は熟練の職人の雰囲気を醸し出していた。
開いた鉄板上の完成品を見て、ディーノが感心したような声を出した。
「たい焼きって、形のことだったんだな」
「そうなんですよ」
「、これ食べようぜ」
「はい」
興味津々のディーノの顔を見て、は内心でかわいいなと思いながら笑って頷いた。
「メニューはないのか?」
メニューを探すディーノに、は下を見た。
カウンターの下に手書きで餡、カスタードの表示がある。
「餡とカスタードの二種類があるみたいですよ」
の声に、ディーノも足元を見た。
「なるほどな。店主――」
確認すると、ディーノは主人を呼び、初たい焼きを求めた。
「ここでいいか?」
池の前にあるベンチを指してディーノは歩みを止めた。
「はい」
二人でベンチに座ると、さっそくディーノが袋に手を伸ばす。
ちなみにここまで袋を持ってきたのはだった。
道中のディーノの様子から、せっかくのディーノの初たい焼きを、ディーノ自身が台無しにしてしまう可能性があったからだ。
そこでは、暖をとるという名目で、ディーノから袋を預かることにした。
「寒いので、あったかいたい焼きを抱えてます」とに言われてしまったディーノが、手を繋ぐチャンスを失ったのはここだけの話だ。
「それじゃあ、さっそく」
が膝に乗せた紙袋には、餡とカスタードが二つずつ入っている。
そのうちの一つを取り出したディーノは、にっこり笑って口を開けた。
「いただきま……熱ッ」
ディーノが口に入れたか入れないかで、なぜかたい焼きが破裂した。
「ディーノさんっ、大丈夫ですか!?」
たい焼きの口と尻尾からだらだらと餡がこぼれていく。冷たい外気にさらされた餡から白い湯気が立ち上る。
見ようによってはグロテスクな眺めであるが、ディーノとはそれどころではない。
「たい焼きって、名前通りの活きがいい食べ物なんだな」
「そういう意味じゃないんですけど……」
ものすごい勘違いをしているディーノに、は深く突っ込めない。
ティッシュを取り出して、飛び散った餡を拭き取る。
「Grazie. 、もういいぜ」
膝に落ちた餡を拭き取ったが、ディーノの手を伝う餡に移ろうとするのをディーノが優しく制した。
どうするのかと手を止めたにいたずらっぽく笑いかけたディーノは、そのまま瀕死のたい焼きにかぶりついた。
「うん。上手いな」
美味しそうにたい焼きをほおばるディーノの口元には餡がたっぷりついている。
口元と手についた餡をディーノは舌で舐めとっていく。
目を伏せて唇や指、手の甲に舌を這わせるディーノには、なんとも言えない色気がある。
その目がふいにを捕らえた。
「行儀悪いか?」
「かしこまらないでください」
正視できないは顔を赤らめてうつむいた。
「やっぱ一個じゃ足りないな」
一個分すら食べていないのだが、ディーノは気づいていない。もあえて何も言わなかった。
「は食べないのか?」
残る一種類に伸ばしかけた手を止めたディーノが、食べようとしないに聞いてきた。
「もうちょっと冷ましてから食べます」
そう答えながらも、は袋に手を入れた。クリームを選ぶと、それをディーノの口元へ寄せた。
「手がベタベタだと思うので、私持ってますから、どうぞ」
普段ならこんな大胆なことは絶対にできない。
だが、これまでの経緯を見て、さすがのもそのままディーノに食べさせることはできなかった。
何が原因かはわからないが、ディーノがたい焼きを持つのは危ない気がする。握力が強いのかもしれない。
もしクリームが餡の二の舞になれば、被害は甚大である。
けれど、楽しそうに食べるディーノの笑顔を壊したくない。
そのための打開策なのだが、同時にもおいしい思いをすることになる。
手ずからディーノに食べさせるなど、普段ならまず考えられないことだ。たい焼き様々である。
の提案に、虚をつかれたような顔をしたディーノだが、すぐに嬉しそうに顔を輝かせた。
「それじゃ、いただきます」
に顔を近づけて一口食べる。そのまま顔をあげて至近距離で微笑んだ。
「うまいなっ!」
いつになく親密な距離で輝く笑顔を見せられて、は眩暈がしそうだ。
ディーノの口元にはカスタードがついているが、それすらかわいいと思ってしまうだった。
そうこうするうちにのたい焼きも熱さが和らいできた。
袋から取り出して、一口食べる。
「おいしいです」
ディーノと食べるなら何でもおいしく感じる。
食べ終わって手を洗ってきたディーノに、は心からの笑みを見せる。
眩しそうな顔でを見つめるディーノが手持ち無沙汰なようで、は自分のたい焼きを差し出した。
「よかったら私の分もどうですか?」
「いいのか?」
「はい。あっ、私が食べたのでよかったら、ですけど」
噛み跡がない部分を差し出そうとするの手首をディーノがつかんだ。
「気にしねーよ」
ディーノはの手をそのまま自分の方へ引き寄せた。
ディーノの手のひらはの手首を包んでなおあまりある。拘束は強くないのに、はその手をふりほどくことができない。
体が勝手に震えてきて、たい焼きを落としそうになるのを、必死でこらえた。
の齧り跡から一口食べると、ディーノは顔を上げてと目を合わせた。
「こっちのが美味いな」
「そう、ですか?」
は何と答えればいいのかわからなくて、曖昧に答えた。
「もう一口いいか?」
「どうぞ……」
の指先から力が抜けそうになる。ディーノに触れられた部分から熱が広がっていく。
震えが伝わったのか、の手首にまわっていたディーノの指がそっと広がった。
手の甲を伝い、の指と絡み合うようにして、一緒にたい焼きを持った。そのまま二口目をほおばる。
「やっぱこっちのが美味い」
いつもなら素直に笑顔を返せるが、今はそれどころではない。
の内心などお見通しのはずなのに、覗き込んでくるディーノの瞳は無邪気を装っている。
嫌なわけではないので、離してくださいとも言えない。
進退窮まったは、ディーノの口元を指摘して意識を逸らそうとした。
「ディーノさん、口にカスタードついてますよ」
「ここか?」
ディーノはたい焼きを持ったまま、指だけ伸ばしてカスタードをぬぐった。
「っ……!?」
カスタードをぬぐった指を舐めた時に、近くにあったの指がディーノの唇に触れた。
「ディーノさん……」
が恨みがましい口調でディーノを見れば、にこやかな笑顔が返ってきた。
「なんだ?」
弾むような声の調子から、明らかにディーノはの困惑ぶりを楽しんでいるのがわかる。
「も食べろよ」
そう言ってディーノは、手を離さずにの口元へたい焼きを持っていった。
「ほら、口開けて」
両手が塞がっているは、ディーノの言われるままに口を開けた。
ディーノに見られていることを強烈に意識しながら食べるのは至難の業だった。
それでもどうにか飲み込んだに、ディーノが聞いてきた。
「どうだ?」
「……おいしい、です」
正直、味などわからなかったが、期待顔のディーノには頷くことしかできなかった。
そこから少し離れた場所では、ロマーリオとマイケルが侘しい会話を交わしていた。
「アツアツデスネ、ロマーリオサン」
「結構なことだな」
「ワタシモ、タイヤキタベテミタイデス」
「そうだな。あったまりてーな」
「タイヤキモ、アツアツデスカラネ」
「そーだなぁー……」
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