calling
中学二年
二月四日、イタリア。
会場は大勢の客であふれていた。
キャバッローネ十代目ボスのバースデーパーティーは例年通りの盛況ぶりを見せている。
それもそのはず。キャバッローネは、あのボンゴレとの同盟関係も篤く、第三勢力に数えられている。
そのトップのバースデーパーティーともなれば、世界中のマフィアたちがこぞって招待されたがるのも当然だ。
これを機にもっと大きな組織と繋がりをもちたい。主役のご機嫌をとってぜひともお近づきになりたい。
笑いさざめくにぎやかなパーティー会場も、ひと皮むけば私欲にとりつかれたものたちで溢れていた。
その主役はといえば、招待客からの祝辞の応対で忙しく、息をつく暇もないほどだった。
イタリア人の習慣として、誕生日には周囲の人間に贈り物をしたり、パーティーを開いたりする。
そのため、このパーティーも主催者はキャバッローネボスのディーノである。
「……ありがとう。パーティーを楽しんでいってくれ」
長い睫に縁取られた目を細めて親しげな笑みをつくり、ディーノは如才ない物腰で相手から離れた。
表情は変わらないが、視線が一瞬さまよった。その一瞬にディーノの思考を駆け巡ったものはかなり多かった。
(あの服、に似合いそうだな)
ディーノの視線の先には、ぐらいの身長の女がいた。招待客の娘か連れだろう。
相手と目が合う前に視線を逸らし、頭の中で目にしたドレスをに合わせてみる。
(それに、あっちのネックレスと……)
このパーティーで記憶に残ったジュエリーを付け足す。
着飾ったが今この場にいれば、ディーノはパーティーどころではなくなる。
誰の目にも触れないところに閉じ込めて二人だけで過ごしたくなるに決まっている。
止まらなくなりそうな思考にストップをかける。
(やっぱ、いきなりこういういうもの贈ったら引くよな。日本人は謙虚だし)
何かに惹かれて目を向けると、花瓶に飾られた花が目に入る。
(花なら受け取ってくれるかな)
数多の招待客から言祝がれ、返礼を繰り返したとしても、心を占めるのは常に一人だった。
ディーノの誕生日も残すところあと十五分となった。
「ボス、少し休んできたらどうだ?」
時計を気にし始めたディーノを見かねてロマーリオは口を出した。
「挨拶もひととおり終わったし、少しぐらい抜けても支障はないだろうよ」
今日は特別な日だ。ボスを一番喜ばせるものが何かロマーリオは知っている。
それを贈れるのは自分達しかいない。
それでも頷かないディーノに、ロマーリオは最後の一押しをする。
「日本じゃそろそろ学校に行く時間だ。 急がないと間に合わないぜ」
ロマーリオの言いたいことが分かったディーノは、時計から目を離した。
ロマーリオを見れば、からかうような笑みを浮かべている。
何もかもバレていることに釈然としないものを感じるが、今は焦りが募る。
「……悪いが、少し抜ける」
やっと腰を上げたディーノに、ロマーリオは満足そうに笑った。
「まかせてくれ、ボス」
大組織のボスであるディーノは、部下に頼られることが何より嬉しかった。
だけど今だけは、ボスではなく一人の男になりたかった。
ふと見れば周りにいる部下達が一様に頷き返してきた。
「……頼む」
ディーノは言葉少なに感謝の意を伝えると、会場を後にした。
絨毯敷きの長い廊下を急ぐディーノの心中は様々な思いであふれていた。
常に死を覚悟し、何度も危うくなって休む間もない綱渡りのような日々。
家業を継いでから明日をも知れぬ身となったが、ディーノが守ると決めたものたちのためにも、簡単にくたばることはできない。
ツナたちに構うのは、自分が失ってしまった日々に少しでも戻れるような気がするからだろうか。
そこで出会った大切な存在。
ディーノとは違う世界を生き、本来ならそこで人生の幕を閉じるはずの少女。
けれど出会ってしまった。
いずれディーノはを手に入れる。
できるなら普通の恋愛をして普通の結婚を夢見させてやりたいが、それはできない。
深い闇と覚悟を背負った男をは受け入れてくれるだろうか。
裏切り、敵対、暗殺。ディーノの日常を囲むのはそんなものばかりだった。これではいつ死んでもおかしくない。
だから、に会う時はいつも後悔のないように愛したい。会えない時は、もうこれきりかもしれないと思って恐怖を覚える。
それだけで簡単に死を想像できる我が身を思い知って、ディーノの中で何かが弾けた。
私室に入ると携帯を取り出した。
いつもなら躊躇するところを、今夜は一瞬たりとも手を止めなかった。
声が聞きたい。
名前を呼んで欲しい。
――この気持ちを伝えたい。
リストのトップにある番号を呼び出して、ディーノは携帯を耳にあてた。
二月五日朝、日本。
は自室で机の上に飾られた薔薇を睨みつけていた。
昨日学校から帰ってきたのを見計らったように宛ての宅配便が届いた。差出人はディーノだった。
すぐさま開封すると、一輪の薔薇がおさめられていた。手書きのカードには、イタリアの習慣のことが説明されていた。
イタリアでは誕生日には本人が贈り物をする日だそうで、日本でいうところのお歳暮みたいなものだった。
昨日買いに走った一輪挿しに飾られたピンク色の薔薇を穴が開くほど見つめる。
もはや何度目になるかわからないが、ほころびかけた花弁に手を伸ばし、指先でそっと撫でた。
まるでディーノに触れているかのようにドキドキした。
すぐにお礼の電話をかけようとしたが、時差のこともあり、かけそびれて朝になった。
そろそろ家を出ないと本格的に遅刻する。しかも、イタリア時間ではあと少しで二月四日が終わってしまう。
机の上に乗せたままの子機に視線を落とし、が覚悟を決めたその時、聴き慣れたメロディが鳴り出した。
あまりのタイミングに驚いて、まじまじと見てしまう。我に返って子機を取った。
なぜかその時、にはわかった。これはそうであると。
「もしもしッ――」
『もしもしッ』
ディーノの耳に届いた愛しい声は、砂漠をさまよう旅人が得た水のように全身に染みわたっていった。
あまりに深い感慨に息もできずに固まっていると、困惑気味の声が聞こえてきた。
『あの……』
「Buon giorno」
『こんばんは、ディーノさん。お誕生日おめでとうございます! それと、お花ありがとうございました』
「いいんだ。それより、いきなりで驚かなかったか?」
数日前、当然のようにに花を贈ろうとして、日本との習慣の違いに気がついた。手書きのカードに説明を加えたのだが、分かってもらえただろうか。
『そんなことないです。お花いただいて、すごく嬉しかったです』
その言葉に偽りの響きはない。安心するとともに、ディーノの胸がじんわりと温まってくる。
『それで、今度ディーノさんが日本に来る時にプレゼントを渡したいので、会ってもらえますか?』
からの誘いに胸がいっぱいになったディーノは、すぐに返事ができなかった。
会いたいと言われ、さらにプレゼントまで用意してくれるという。それだけで何か特別なものをもらったような気がした。
黙りこんだままのディーノにためらいがちなの声が届いた。
『あの……ディーノさん?』
「ん?」
『それで……いいですか?』
いいとは何のことだろうと一瞬記憶が混乱するが、すぐに思い出して慌てて了承を告げた。
「あっ、ああ。もちろんだ。すぐ日本に行くようにするから」
ディーノの頭の中で、フルスピードでスケジュールが再編成されていく。それに困った顔をするロマーリオまで浮かんできた。
『えっ!? そんな、無理しないでください』
「無理はしねーよ。を困らせたくないからな」
恐縮するにディーノは優しく言った。
『本当ですか?』
「ああ。決まったら連絡する」
『はいっ』
自分の一言でこんなに嬉しそうな声を返してくれるなら、何度だって約束したい。
気がつけば、ディーノはどうしようもなくを求めていた。
「……なぁ、」
『はい?』
「ひとつ、頼みがあるんだが」
『何ですか? あっ、プレゼントのリクエストがあったら言ってくださいね。応えられないものがたくさんあると思うので、申しわけないですが』
の無邪気な予想が可愛らしい。この場でに触れられないのが残念だ。
「そうじゃないんだ」
『それでもいいですよ』
素直に応じるにディーノは内心の緊張を隠して告げた。
「名前、呼んでくれないか?」
頼みどおりにがディーノを呼ぶ。
『ディーノさん……?』
自分を呼ぶ彼女の声はいつもどおり甘く響くが、ディーノはそれ以上が欲しかった。
「さん、は余計だな」
電話越しの沈黙が今までとは変わった。
の小さな吐息が何度か伝わった後、望みは叶えられた。
『…………ディーノ?』
「Sono stato tenuto vivo nella tua voce.」お前の声がオレを生かす。
胸の奥からあふれた言葉が唇からこぼれた。内容に嘘はなく、自覚は後からやってきた。
そしてそれは、ひどく心地のよいものだった。
『今のイタリア語ですよね? あの、 何て言ったんですか?』
のいぶかしげな声に、ディーノは唇に笑みを刻んだ。
「内緒だ」
『えぇ!!……それじゃ私、イタリア語の勉強します』
「それはうれしいな。けど、無理はするなよ」
がイタリア語を話すようになったら、伝えたいことがたくさんある。
『これから受験に入るので、高校生になってからになりそうですけど』
「楽しみだな……っと。そろそろ時間がやばくねーか?」
ディーノが目にした時計は彼の誕生日の終わりを告げていた。
『あぁっ!! そうですね。それじゃディーノさん、連絡待ってます』
「わかった。気をつけて行けよ」
『はい! それじゃあ』
「Buona giornata.」
真っ白な約束を残しての声が途切れた。
ディーノは壁に背をつけて深く息を吐いた。目を閉じればすぐにの面影が蘇る。
何でもないことのように、この先の約束をくれた。
ディーノにはもはや手に入らないものを両手いっぱいに持っている彼女。
はいつも、それを惜しみなくディーノに差し出してくれる。
だから――
に出会えたことが、この道を選んだディーノに与えられた何よりの贈り物だった。
※ 作中、イタリア語訳反転。 *ピンクの薔薇の花言葉 美しい少女、わが心君のみが知る
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