君想う刃と赤い花

大学四年




「恭さん、お疲れではないですか?」

 世界中にあるアジトのひとつで草壁は雲雀に茶を出しながら顔色をうかがった。
 疲労はおろかそこには何の感情も浮かんでいない。
 雲雀が表情を変えることはほとんどない。それでも彼を包む空気は様々に変わる。
 苛立った時が最も顕著で誰の目にも明らかであるが、それだけではない。
 それを機敏にとらえることのできる草壁は、雲雀の空気がぴりぴりしているのを感じていた。
 苛立ちとは違う、溜めこんだ重さを支えようとはりつめているような尖った空気だった。

「僕が? どうして」

 昔なら問答無用で咬み殺したただろう。
 しかし、長年行動をともにして築いた呼吸が会話を成立させた。

「最近、日本に帰っていないなと思いまして」

 それだけで草壁の言いたいことは伝わるはずだ。

「そういえば、しばらくになるね」

 書類に目を落としたまま、雲雀は出された湯呑みに手を伸ばした。

「お帰りにならないんですか?」

 雲雀が湯呑みを置くのを待って草壁は再度進言した。

「君は帰りたいの?」

 書類から目を上げて雲雀が草壁を見た。その目に険はない。

「いえ……ただ、このところ立て続けに戦闘が重なって、十分な休養をとられていないのではないかと」

 出向いた先で執拗な諜報員に遭遇し、それをまくのに時間がかかった。さらに別の敵群がそれを嗅ぎつけたのを雲雀は一人で片付けた。
 その時に回収した匣はアジトへ持ち帰り、今はその報告書に目を通している。
 交戦中に負傷した傷はまだ完全に癒えてはいない。

「必要ないよ」

 怪我の程度はお互い知っていることなのに雲雀は平然としていた。

「彼女――から連絡はないんですか?」

 とりつくしまもない雲雀に草壁はあえて彼女の名前を出した。
 雲雀が持っている書類がかすかにゆれた。

「すると思うかい?」

 雲雀の眼差しがそれとわからないほどやわらいだ。草壁はそれを察することができる数少ない人間の一人だ。

「いいえ……では、恭さんからは?」

 ここから先は少し覚悟が必要だった。それでもあえて草壁はいつもより深く切り込んだ。
 それほどまでに、今の雲雀は無理をしていると思ったのだ。

「そうだね――……もう少しゆっくりしたら考えるよ」

 草壁の意に反して、雲雀からは穏やかな答えが返ってきた。口元に淡い笑みさえたたえている。
 それは笑みというより苦笑に近かったのかもしれない。
 その意味はさすがの草壁にもわからなかった。

 草壁が見立てたとおり、この数日は雲雀に重くのしかかっていた。
 目を通しても頭に入ってこない報告書を文机に置くと、そのままごろりと横になった。
 ひんやりとした畳に今日は体がなじまない。そうすると無意識に温かな身体を欲してしまう。
 自分を受け止め、包み込んでくれる柔らかな肉体。
 しかし、遠い故郷で雲雀を待つ彼女もまた、それにはほど遠い。
 手を繋ぐのさえぎこちなく、握りしめたぶんも握り返してはくれない。
 腕の中に囲っても、進路を阻まれた小動物が警戒して身を固くするようだった。彼女の腕が背中にまわることはない。
 それでも、そうした機会を通して雲雀は彼女の身体を知っていた。
 背にまわることはない腕も、バイクに乗せたときには雲雀の腰にまわる。必要以上に力の入った身体が雲雀の背に寄せられる。
 思い出した雲雀の身体が熱くなる。
 やはり、今帰ることはできない。
 このまま帰れば、きっと彼女を傷つけてしまうだろう。
 その反面、今すぐ帰りたかった。帰って彼女に自分を受け入れさせたかった。
 目を閉じた雲雀は眼裏の彼女に告げた。

「逢いたいから、会えないんだよ」


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