糖分補給

大学四年




 苺大福の季節がきた。
 前席の学生が持っているポーチに苺プリントを見たは唐突に悟った。
 お気に入りの和菓子屋があるのだが、そこは毎年春になると苺大福を売り出す。
 昨年は買いに行くのをずるずる延ばしているうちに季節が過ぎてしまった。
 今年こそ食べようと思ったのに、なんだかんだですっかり忘れていた。
 思い出したからには買いに行かなければならない。
 幸い今日の講義は次で終わりだ。バイトも入っていないので、終わったらすぐに買いに行ける。
 そうとなると、一人で食べるのはもったいない。あの味をぜひとも誰かにすすめたかった。
 誰かというより、たった一人の相手に。
 は携帯を出した。
 打ち出した文章の推敲を何度も重ね、散々迷い、それでも送信ボタンを押すことにためらいがあった。
 もしかしたら苺大福が嫌いかもしれない。
 苺も大福も好きだが、一緒になったらうけつけないという人は多い。
 それに、いきなり仕事先に行ってもいいかと聞くのは失礼ではないだろうか。
 の脳裏に、美しい受付嬢に「お約束はありますか?」と尋ねられるシーンが浮かんだ。財団に美しい受付嬢はいないが。 
 とりあえず今日は財団に行ってもいいか聞いて、買いに行くのは明日にするべきか。
 だが、今日は日本にいるからといって明日もいるとは限らない。
 日本を出て次に戻ってくる時には季節が過ぎているかもしれない。
 そう思うと、どうしても今日一緒に食べてもらいたくなった。
 自分がおいしいと思うものを、同じように思ってもらえたら――それは味の押しつけだろうか。
 全てにおいて否定的な見解をするくせに、あきらめきれないものがある。
 せっかく会う口実を見つけたのに、それを不意にしたくない。
 いつの間にか苺大福のことよりも、会うことが重要になっていた。
 だけど、こんなメールを急に送ったりして驚かないだろうか。
 場違いなタイミングで、空気が読めないメールになったりしないだろうか。

「KYメールとか……?」

 夕方まで待つべきか。
 尽きぬ愚問を持てあましていると、前方の扉から教授が入ってきた。
 慌てて携帯をバッグに入れようとしたら、何故か画面には“送信中”のマークが。
 キャンセルボタンに指を伸ばしたところで送信が完了されてしまった。


 送られてしまったメールが気がかりで、教授の話が頭に入ってこない。
 マナーモードにした携帯が震えだす。
 着信ランプの色がメール受信を知らせていた。
 画面を見ると、『雲雀恭弥』の文字が飛び込んできた。
 現金なもので、早い返信に嬉しくなる。次の瞬間、内容次第だと気づいて緊張が高まった。
 送ってしまったものは今さらどうしようもない。は腹を括った。


 その少し前、財団の執務室で雲雀は一人書類を読んでいた。
 書類仕事は慣れているが、彼にはしたいことが他にあった。
 せっかく並盛に戻ってきているのだ。それなのに、雲雀の相手をしてくれるのは書類とヒバードだけだった。

「ヒバリ ヒバリ」
 
 ヒバードがそばの携帯にくちばしを向けたので、傷がつく前に取り上げた。

「ダメだよ」

 雲雀が手にした携帯が震えた。
 ヒバードが雲雀の心を読んだようにある人物の名を呼ぶ。

「彼女は――」

 言いかけた口を閉じて手の中の携帯を見る。
 雲雀は無言で携帯を開くと、うっすらと笑みを浮かべた。

「スゴイね、君。当たりだよ」

 らしい文章を目で追いながら、雲雀はヒバードの頭を軽くなでた。
 読み終わるとすぐに返信した。
 ぱたりと携帯を閉じると、執務室の扉が開いて草壁が入ってきた。

「今日は三時までだから」

 雲雀が一方的に告げると、草壁は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「は、はい……」

 困惑顔の草壁に、雲雀は補足するように続けた。

「彼女が来る」

 それを聞いた草壁が笑顔になった。

「約束されてたんですか?」
「してないよ」

 たとえ雲雀がを呼び出したのだとしても、それは草壁にとって喜ばしいことだった。
 真相を知らない草壁に、雲雀が機嫌のいい顔を向けた。

「彼女からメールが入ってね。差し入れを持ってくるんだって」
「それはよかったですね」
「お茶の用意しといて」
「へい」

 草壁は訪れた用件も忘れて足取り軽く部屋を出た。


 こうしてのもとに返信が届けられた。

 『君、今日は三限までなんだから、それが終わったら買ってきなよ』

 は安堵の息をついた。緊張していた全身から力が抜ける。
 雲雀はのメールを不快に思わなかったらしい。
 話した覚えのない時間割を雲雀が知っていることに気づく余裕はにはなかった。

 
 目当ての苺大福と他の数種を買い込んで財団へ向かう。
 入り口を探す前に、付近をうろついていた草壁に声をかけられた。

!!」
「お疲れ様です」
「ああ。恭さんがお待ちだぞ」
 
 雲雀を待たせすぎたのだろうか。
 三限が何時に終わるのか、正確なところを雲雀に教えていなかった。
 ここにきてもまだ、知られていた時間割のことに気づいていないは、連絡しておくべきだったと後悔した。

「恭さんの仕事は終わっているから、ゆっくりしていけ」

 部屋まで案内すると、草壁は足早に廊下の奥に消えた。
 は落ち着かない気持ちで部屋の奥の人物に声をかける。

「あの……」
「入りなよ」

 声のトーンは悪くない。

「お待たせしました」

 雲雀に小さく謝罪して部屋に入った。
 何十畳もある広い部屋の中央に立派な卓が置かれている。そこに雲雀が坐していた。
 見慣れているはずなのに、着物姿の雲雀にはドキドキしてしまう。

「差し入れがあるんでしょ」
「はい。これです」

 は足音を立てないように近づいて、雲雀に箱を差し出した。
 机の上にはお茶のセットが用意されてた。

「お茶、入れますね」
「うん」


 室内にふわりとお茶の香が広がる。
 雲雀の湯呑みを置いて、は自分用の湯呑みを持った。
 雲雀の向かいに持って行こうとすると、声がかかった。

「どこ行くの?」
「え?」

 立ち止まったは、座っている雲雀を見下ろした。

「ここでいいでしょ」

 そう言って雲雀が隣を示す。

「いいんですか?」
「早くしなよ」
「はいっ」

 は嬉しさを隠して、品よく見えるよう慎重に腰を下ろした。
 持ってきた箱を開けて雲雀に差し出す。
 箱の中には苺大福が二つと豆大福、それに草餅が入っていた。

「君はどれにする?」
「お先にどうぞ」

 がすすめると、雲雀はその中のひとつを選んだ。

「じゃあこれをもらうよ」

 雲雀は苺大福を取ってくれた。嬉しくて思わず聞いてしまう。

「苺大福は大丈夫ですか?」
「何それ」

 はここにくるまでの懸念を話した。

「苺と大福は食べられても、合体すると食べられない人もいるので」
「僕は平気だよ」
「よかった! それ、私のおススメなんです。ここのお店、苺大福で有名なんですよ」
「そう」

 店のことは雲雀も知っていた。和菓子屋でも洋菓子店のラ・ナミモリーヌにひけをとらない盛況ぶりだった。
 一種類だけ二個あれば、何がしかの思い入れがあるのは分かる。はこれを雲雀に食べさせたくてメールしてきたのだろう。
 そう思うと、今まではどうでもよかった苺大福も悪くないものに思えてくる。


 二人で苺大福を食し、お茶を啜る。
 大福を食べ終えたは感想が聞けるかと雲雀を見た。すると、心の準備もなく目が合った。雲雀はとっくに食べ終わっていたようだ。
 食べているところを見られていたのかと思うと恥ずかしくなる。

「雲雀さん、もう食べたんですか?」
「君も食べ終わったでしょ」
「そうですけど」

 無駄に焦るにクスリと笑みをこぼすと、雲雀がの唇に指先を伸ばしてきた。

「何かついてますか? 」

 自分で確かめようとが口元に手を伸ばしたら、雲雀に手首を掴まれた。

「ッ……!?」

 とっさに腕を引いたが、予想外に強い力で手首を固定されてしまった。そのせいで、の体が雲雀へと傾いた。
 ぶつかると思って顔をそむけようとしたら、雲雀のもう片方の手が後頭部に添えられて顔を上げさせられた。

「あのっ!?」

 の目の前に雲雀の顔が迫っていた。
 それでもまだ、ぶつかることしか思い浮かばなくて――そのまま唇だけがぶつかった。
 が目を閉じる前に見た雲雀の表情が愉悦に満ちたものだったと気づくのはだいぶ後になってからだった。
 

 長いような短い時間のあと、雲雀の唇が離れた。
 雲雀と顔を合わせられないは、俯いて雲雀の胸に額を寄せた。

「ごちそうさま」

 頭上から降ってきた声が、額が触れている胸から振動として伝わる。

「…………お、お粗末さまでした……?」

 交わした言葉に二重の意味が見出せることに、自身は気づかなかった。


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