春のひだまり

二十歳




大学が終わってからは雲雀と会う約束をしていた。
世界中を飛び回っている雲雀が戻ってきたのだ。

「雲雀さんっ!」

が正門につくと其処には既に雲雀の姿があった。

「やぁ」
「お、お待たせしましたっ!」

軽く手を上げた雲雀には頭を下げた。

「かまわないよ」

雲雀はそう言っての手に触れる。

「あのっ!」
「行こうか」
「は、はい…」

雲雀に引かれるままは顔を赤くしながらもついていった。

「あの、これからどうしましょう…?」

手を引かれながら、いつもの様には雲雀のやや後ろを歩く。
この位置は中学から何一つ変わっていない。
が隣りになるよう、雲雀が速度を落とすこともあったが、
それをするとも速度を落としたので、結局二人の歩く位置は変わらないままだ。

「…お茶でも飲もうか」

雲雀はの質問にのんびりとした口調で答える。

「お茶、ですか」

の頭の中では2つのお茶が浮かぶ。
いわゆるカフェ、と呼ばれる類のものと、茶道、であるお茶。

にテストをしよう」
「テストッ?!」

雲雀の言葉には驚きの声をあげた。

「そう」

驚くを見て、雲雀は軽く笑みを零した。



雲雀邸。
長い廊下を歩いて、一室に通される。

「君は此処で着替えて。僕も着替えてくるから」
「…はい…」

手早く、着物の用意をすると、雲雀はそう告げた。

「何か困ったら呼んで」
「わ、分かりました…」

頷くを見届けて、雲雀は部屋から出ていった。

「…よし…」

部屋に残されたは目の前に用意された着物を見て意気込む。
高三の五月からこっち、度々雲雀にお茶を点ててもらっている。
その度に、着付けや、茶道についても教えてもらった。
雲雀が言っていたテストというのはおそらくこのことだろう。
ならば、助けを呼ぶわけにはいかない。何とか一人でやりきらなくては…。
は意を決して着物を手に取った。

「…で、出来ました…」

なんとか一人で、着物を着て、はゆっくりと襖を開けた。
其処には柱にもたれた和服姿の雲雀がいる。

「ワォ。段々早くなってきてるね」
「あ、ありがとうございます」

雲雀に褒められては顔を赤くした。

、軽く回って」
「は、はい」

言われるがままはゆっくりとその場で一回転する。

「うん、ちゃんと着れてるね」

雲雀は満足そうに頷く。

「じゃぁ、次は茶室だよ」
「はい」

が頷くと、雲雀は手を差し出す。

「えっ」
「何?」

躊躇うに雲雀は首を傾げる。
並大からこの部屋に通されるまで手を繋いではきたが、
まさか家の中でも手を繋ぐとは思っていなかったので、は驚いた。
嬉しくないわけではない。むしろ嬉しい。
だが、これでは自分の心臓がもたない。

「嫌かい?」
「えっ!そ、そんなことはっ!」
「なら、問題ないでしょ」

そう言って雲雀はの手をとる。
手を取られてはそれを振り払うことなど出来ない。

「…はい…」

が顔を赤くして頷くと雲雀は茶室へ向けて歩き出した。


「それじゃぁ、始めるよ」
「はい」

茶室に入ると、それぞれの位置につく。
茶道具は既に用意されていた。

「炉薄茶点前」
「…はい」

の頷きを確認して、雲雀は動作に入る。

「…」

はその緩やかな一連の流れをジッと見ていた。
こうも和服が似合って、こうも茶道が似合う日本人は
他にいるだろうかと、うっすら思ってしまう。
お茶を飲む機会などほぼないに等しいが、それでも、
雲雀の動作はとても綺麗に見える。
の視線を受けつつも、雲雀はお茶を点てた。
シャカシャカという独特の音が響く。
茶杓を元の位置に置き、茶碗を右手で取り左手の上に置くと、
時計の針と同じ方向に180度回すと、
ゆっくりと、右手を伸ばし、茶碗を出した。

「…」

は軽く深呼吸をする。
次は、の番だ。
幾度も雲雀に教わった動作を思い出しながらお茶を飲む。

「おしまいください」

何服かそのやり取りがあった後、茶碗をすすいでいた時に、
が雲雀に声をかけた。
雲雀はその動作を続けながら軽く会釈をする。

「おしまい致します」

雲雀が挨拶すると、はそれに一礼した。
雲雀は慣れた手つきで、道具を片付けた。


「お疲れ様」

雲雀はそこまでするとの方へと身体を向け、軽く笑みを見せる。

「あ、ありがとうございました」

は両手をついて深々と頭を下げた。
高三からこっち何度かお茶を点ててもらっているが、いつも緊張してしまう。
それでも、雲雀がいつも最後に見せてくれる笑みに、の緊張は和らぐ。

「ど、どうでしたか?」

最初にテストと言われていたのがずっと
引っかかっていたは、躊躇いながらも尋ねた。

「うん。悪くないよ。まだ、緊張してるみたいだけど」

雲雀はクスリと笑う。

「そ、それは仕方がないと思いますっ」

は顔を赤くしながらも主張した。
茶道に触れる機会がない上に、その相手が雲雀となると起こる緊張も並のものではない。
和服姿の雲雀というだけで格好良くて緊張してしまうのに、
その雲雀が自分の為だけにお茶を点ててくれる。
ましてやその動きが惚れ惚れするほど綺麗だ。
作法を思い出すのにも一苦労するほどに。

「けど…タイミングを探してたね」
「…!」

雲雀の一言にの表情が僅かに歪む。

「終わりのタイミング。思い出してた?」
「…はい…」

薄茶は客が止めるまで、何服でも点て続けるものだ。
裏を返せば、客が止めなくては終わらないのである。
その声をかけるタイミングもちょうどいい頃合というものがある。
それをは模索していたのだ。

「今度は濃茶でもテストをしようか」
「つ、次は、頑張ります」

雲雀の言葉には決意表明よろしく頷いた。

「さてと、それじゃぁ、戻ろうか」
「…は…い…」
「?」

自分の言葉にまともに返事が返ってこなかったことに雲雀は首を傾げた。

?」
「す、すみません…ちょっと、待って下さい…」

は立ち上がろうとする体勢でじっと止まっている。

「…」

雲雀は気付いてゆっくりとに近づく。

「大丈夫かい?」

そう言っての左手を取ると、左手を肩に添える。

「す、すみません…」
「立てる?」
「な、何とか…」

雲雀に手を貸してもらいながらはゆっくりと立ち上がる。

「わっ」

が、足元がふらつき、バランスを崩す。

「っと」

雲雀はよろめくの体を強く抱きとめた。

「ひ、雲雀さんっ!」

は慌てて距離を取ろうとするが、雲雀がそれを許さない。

「無理しないで」

耳元で雲雀は囁いた。

「君、足痺れてるんでしょ?」
「申し訳ありません…」

消え入りそうな声では謝罪した。
普段テーブルと椅子の生活をしているにとって正座は慣れないものだ。
最も、現代人においてはその方が多いだろう。

「落ちついたら言って、待ってるから」
「そ、それは…」

を抱き締めたままの状態で雲雀は言うが、自身はそれ所ではない。
抱き締められているこの状態で自分の心臓は何処まで耐えることが出来るのだろうか。
既に、鼓動は速くなり、眩暈がしそうだ。
だが、の想いとは裏腹に足の痺れは中々おさまらない。

「あ、ありがとうございます…」
「うん」

一体どれほど抱き締められていたのか考えたくもないが、
ようやく引いた痺れに、は胸を撫で下ろした。

「とりあえず、戻ろうか」

雲雀はの手を引いてゆっくりとした速度で廊下を歩いた。


「楽にしなよ」
「はい」

部屋に戻ってきた二人はその場に座る。
其処には何故か部屋を出た時にはなかった座布団が敷かれていた。

「ふぅ…」

雲雀は小さく息を吐く。

「茶道は緊張するね」
「え?」

は僅かに驚いた顔をした。
あれほど慣れた手つきで行っていた雲雀から緊張の一言が出てくるとは。

「相手が君だと特にね」
「そ、そんなっ」

雲雀の言葉には顔が赤くなるのを感じた。

「失敗はできないからいつも緊張してるよ」
「そうは、見えませんが…」

は今日の動作を思い出しても緊張しているようには見えなかった。

「ところで、
「はい?」
「僕はテストだって言ったよね?」
「?!」

ドキリとの心臓が鳴る。

「全体的には問題なし。けど、マイナスもあった」
「…」

は緊張した面持ちで雲雀を見た。

「タイミングを探していたのと、正座だね」
「う…」

指摘されたことにぐうの音も出ない。

「どうしようか…?」
「え…」

悪戯を思いついたように雲雀が笑みを零す。
その笑顔には表情が引きつった。

「なんてね」
「え?」

緊張しているを見て雲雀は軽く笑う。

「次の濃茶の時を楽しみにしてるよ」
「わ、分かりました。正座も、ちゃんと練習しておきます」

雲雀の言葉には頷く。

「その代わり…」
「えぇっ?!」

雲雀は隣りに座るの肩を抱き、自分の体へ引き寄せると、
驚くを他所に、雲雀はそのまま後ろに倒れた。

「ひ、雲雀さんっ?!あの、これはっ?!」
「休憩」
「休憩?!」

何でもないことのように言われるが、今のは冷静ではいられない。
雲雀の上に倒れ込んでいるのと同じ状況だ。

「そう。休憩」
「意味が分かりませんっ」

は慌てて、両手に力を入れて上体を起こす。


「んっ」

雲雀は名前を呼ぶと軽く上体を起こし、の唇を自分のそれで塞ぐ。

「逃がさないよ」

そう言って笑みを見せて言うともう一度の唇を塞ぐ。
雲雀はを抱き締めて再び後ろへと倒れる。

「ひ、雲雀さん。この体勢では、その、着物が皺に…」
「そんなこと後でどうとでもなるよ」

苦し紛れに抵抗してみるが雲雀は全く
気にしていないようにを抱き締め、頭を撫でる。

「お、重くないですかっ」
「重くないよ」

更に抵抗しても雲雀はそれを許さない。

「僕といるのが嫌なら、仕方ないけど」
「そ、それは…」

雲雀の一言にの口から言葉が消える。嫌な筈がない。
だが、この自分の上昇した体温と緊張と心臓の音が伝わるのが嫌なのだ。

「僕も同じだよ」
「?!」

の心の声を感じ取ったように雲雀は言う。

「心臓が速いのはお互い様」

そう言って雲雀はの髪に触れる。



雲雀はの顔に触れて、少し顔を上げるように促す。

「…」

目を堅くつぶったまま、はやや顔を上げた。

「目が開いてないよ?」
「閉じてるんですっ」

雲雀の言葉にがフルフルと頭を振った。

「…どうしても無理かい?」

目を開けないに雲雀は残念そうな声で言う。

「目を開けてごらん」
「…」

囁くように言われ、はゆっくりと目を開けた。
目を開けて、自分の目が雲雀を捉えた瞬間、全身に緊張が走る。
整った顔に、長い睫。
普段、見ているだけでもドキドキと音を立てるのに、
こんなに間近で見ては心臓がもたない。

「ひ、雲雀さん…」


名を呼ばれて、雲雀は軽く笑うとの唇に自分のそれを重ねた。

「少し寝て、起きたら並盛をぐるっと見回りして、それから、ご飯を食べに行こう」
「…」

返事を聞く前に、雲雀はギュッとを抱き締めて目を閉じる。

「こ、これでは眠れません…」

雲雀の肌から伝わる体温を頬と手に感じながら
緊張で頭がパニックになりそうなは呟いた。


「…」
それから数時間後、まどろみの中、雲雀は目を開けた。

腕の中には規則正しい寝息を立てているがいる。
温かな陽射しによって、緊張していたも眠気に誘われたようだ。

「…」

の寝顔を見て雲雀は笑みを零す。自分にとって、とても愛おしい存在。

「…君は、僕についてきてくれるかい?」

先を思いそう呟くと、雲雀はゆっくりとの額にキスを落とす。

「…ひば…りさん…」

夢でも見ているのかの口から名前が零れる。



それに答える様に名前を呼ぶと、雲雀は再び目を閉じた。



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