雨の日の攻防

高校一年





 読んでいた本から顔を上げると、は応接室の窓を見た。
 綺麗に磨かれた窓の外はいつのまにかずいぶん暗くなっていた。
部屋の明かりに反射してうっすらと自分の姿が映っている。その窓に糸のような水滴がつきはじめた。
 こうして眺めている間にもそれは増えている。

「降ってきたの?」

 書類から顔を上げた雲雀が、後ろを向いてと同じく外を見た。

「はい」
「そう」

 一言呟くと、雲雀は再び机に向かった。
 のほうはそれではすまなかった。すぐに鞄の中を探るが、恐れていた通り折り畳み傘は入っていなかった。

「あの、ちょっと失礼します」

 あわててソファから立ち上がったは、ロッカーに置き傘がないか確認しに行った。
 いつだったか、置き傘のおかげで難を逃れたことがあった。今回もそれに望みをかけたが、あれから学校に持ってくるのを忘れていたらしい。ロッカーにも傘はなかった。
 学校では引き取り手がいない忘れ物の傘を、置き傘として生徒に貸しているのだが、はその存在を知らなかった。


 手ぶらで戻ってきたを見て、雲雀は事情を察した。

「傘忘れたの?」
「はい。今日は雨が降るとは思ってなかったので」

 窓の外では雨足が強くなっていた。
 不安そうなに、雲雀は顔を向けることなく続けた。

「いいんじゃない? 僕のがあるし」

 それを聞いての不安は一気に解消した。

「二本持ってるんですか?」
「一本だけだよ」
「そうですよね」

 間の抜けた返答をしながら、は雲雀の言わんとするところを正確に読み取ろうと、頭をフル回転させた。
 雲雀が持っている傘は一本だけ。そして雲雀はそれがあれば大丈夫だと言っている。 
 ということはもしかしてこれは、乙女の夢見るシチュエーションが発動するのか。そこまで一気に考えて、は即座にそれを否定した。
 そんな期待をして違っていたら恥ずかしいし、もしそうなったとして、自分にそれは可能か。否、無理である。それならいっそ濡れて帰ったほうがいい。
 ということで、は思考を切りかえた。

「でも、それだと委員長が濡れてしまいます」

 おそらく雲雀の傘を使わせてもらえるということだろう。しかし一本しかないなら、それでは雲雀が使えなくなる。
 熟考の上で出した結論だったが、書類から顔をあげた雲雀は、が突然宇宙語でも喋りだしたみたいな目で見てきた。
 唖然とした雲雀の顔を見てはそう思ったのだが、それよりこの考えは間違っていたらしい。
 はさらに考えた。
 もしかして、雲雀はと帰るつもりはないのかもしれない。雲雀の傘で家へ帰ればいいと言ってくれたのではないか。
 雲雀と帰るのが当たり前になっていたから、ついそう考えてしまったが、それは思い込みだったのだ。

「私、委員長の傘を持ってすぐに戻ってきます。なるべく急ぐので待っていてください」

 そう言ってソファから立ったはすぐに応接室を出ようとして重大なことに気づいた。

「あの、委員長の傘はどこですか?」

 の問いに雲雀からの返事はない。
 学年もクラスもない雲雀の傘立てはどこにあるのか、これは本人に訊かねばわからないのだが。

「委員長、あの」

 気まぐれな雲雀のことだ。もしや、傘を貸してくれる気がなくなってしまったのだろうか。
 はこの勢いをどうしようと、意味もなく手にした鞄を持ちかえてみる。
 気づまりな沈黙に、がもう一度たずねようとすると、ようやく雲雀が口を開いた。

「さぁね」
「えっ!?」

 頬杖をついて横顔を見せる雲雀に、はなすすべもなく立ちつくした。

「勝手に帰るのは許さないから」

 勝手じゃなければいいのだろうかとが暇乞いをしようとする前に、雲雀に釘を刺された。

「君はおとなしく待ってなよ」
「……はい」

 最悪の場合、濡れて帰ってもすぐにお風呂に入ればいい。とりあえず鞄だけは死守しようと決心してはソファに座った。
 もしかしたら、雲雀の仕事が終わる頃には雨が上がっているかもしれない。
 雲雀が待っていろと言ったのには、そういう予想もあったのだろうと自分を納得させて、はしおりを挟んでいた本を開いた。

 読書に没頭するを雲雀は本人に気づかれないように見た。
 まるで脳トレのような話だった。
 一本の傘で二人の人間が濡れずに家に帰るにはどうすればいいか。
 そこまでまわりくどく考えなくてもいいものを、は予想しないところまで考えてくる。
 雲雀は人知れずため息をついて、残りを片付けた。


 それからしばらくして――

「あっ! 雨上がってます!!」
「……そうだね」

 無邪気に喜ぶに、雲雀は力なく答えた。


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