SAKURA
高校三年
純和風の日本建築。その屋敷の一室で、は途方に暮れていた。
の目の前にあるのは、一揃いの着物。
白い着物の裾には、淡い色で、桜の花が散りばめられている。そして、僅かに覗く着物の裏地は、紅い生地のようだ。
決して派手ではないが、でも、華やかで、本当に綺麗だと思った。
今日は、雲雀が、お茶を点ててくれるということで、雲雀の住居にお邪魔することになったのだ。
そして、屋敷に着くなり、雲雀にこの部屋に連れてこられた。ここで着替えるように言われたはいいが、着替えることができない。
襦袢までは着ることはできた。浴衣なら何とか着られるから、襦袢もその原理でなんとかなったのだ。
でも、着物本体となると、話は別だ。着た事がないわけではない。だけど、一人で着たことはない。すべて、誰かに着付けてもらったのだ。
とりあえず、そっと着物を羽織ってみる。雲雀が用意したものだから、きっと、驚く程値の張るものかもしれない。そう思うと、粗野には扱えない。というか、触れるのさえ、少し不安だ。
は、着物を羽織ると、浴衣と同じように、裾の長さを調節してみる。襟元を合わせてみたが、ここからどうやればいいのか分からない。
近くには、紐とか、帯とかが置いてあるが、どれも使い方が分からない。
というか、下手に使って着物を傷めでもしたら、それこそ、雲雀に怒られてしまいそうだ。
は助けを呼ぼうと、襖をそっと開けた。
「あの……雲雀さん」
「何だい?」
雲雀は、部屋の前の柱にもたれていた。そして、いつの間にか、和装に着替えている。
「着物が着れません……」
半分、泣きそうになりながら言うと、雲雀は特に反応はなかった。ただ、を見ているだけだ。
「雲雀さん?」
は襖から、顔だけ出している状態。
「襦袢は着てるよね」
「はい!」
「そう、なら、今すぐ着直して」
「え! どうしてですかっ!」
「衿、逆に合わせて」
「でも、逆って……」
衿を逆に合わせるのは、死人の着方だと教えてもらったのだが。
「襦袢だから、問題ないよ」
未だに、の頭には疑問符が飛び交っている。しかし、これ以上待たせるわけにもいかないので、襦袢を着なおす。もちろん、雲雀に言われた通りに。
「雲雀さん、できました」
言えば、雲雀は、襖を開け、部屋の中に入ってきた。
そして、上から下まで、さっとを見て、羽織っていた着物を外し、そして再び、に羽織らせる。同時に、ふわりとした風が起きる。
雲雀は、紐を手に持ち、着物の裾の長さを調節しながら、衿を合わせる。今度は襦袢とは逆の、正しい合わせ方だった。
位置がずれてしまわないように押さえ、紐をぐるりと回してきつめに縛る。紐を回す時に、腕も回す為に、まるで、抱きしめられそうになっているという錯覚を起しそうだった。
「うっ……」
しかし、そんなドキドキも、雲雀がぎゅっと紐を締めたことで、吹っ飛び、苦しさに声が漏れる。
だが、雲雀は気にした様子もなく、表情も変えない。
近い……近すぎる……。そうでなくても、二人っきりだということで、緊張しているのに、こんなに接近するなんて、心臓が持たない。
ここに着いた時に、草壁さん、いたなー。むしろ、草壁さんがしてくれれば、こんなに緊張しないのになぁと。他事を考えることで、出来る限り意識しないように頑張ってみる。
が、偶に雲雀と目が合い、その度に、心拍数が上昇する。
「きゃぁ!」
「動かないで」
思わず、は、声をあげ、逃げようとした。しかし、雲雀に止められ、動けない。
着物の構造上、両脇には腕が入るくらいの、切り込みがある。そして、おはしょりといって、紐を締めたことで、皺の寄った場所を伸ばし、綺麗に見えるようにするのだ。
着物のおはしょりを整えるために、の着物の両脇から、雲雀の腕が入っている。腕は背中の方に回されていて、おはしょりを整えていく。肌には触れていないものの、着物の中に雲雀の腕がはいっていて、もう、の頭は一杯一杯だ。
雲雀は膝をついている状態。
雲雀を見下ろすなんて、滅多にないことだ、と思うと同時に、とても近い位置に、雲雀の端正な顔があることに、の心臓は、本当に、パンクしてしまいそうだ。
着物から、腕を出すと、前から後ろへ紐を回し、前側で括る。
先ほどから、何回この体勢になったことだろうか。
伊達締めをつけると、今度は帯を巻くらしく、立ち上がり、帯をの腰に当てる。
「一回転して」
言われるまま、くるりと回ると、帯が腰に巻きついた。
そして、今度は後ろを向くようにいわれ、後ろへくるりと向く。ぎゅっと帯を締めた。
そして、そのまま後ろでは、雲雀が帯を作ってくれているようだ。
「できたよ」
「ありがとうございます! 鏡見てきてもいいですか?」
「好きにしなよ」
少しお腹が苦しいが、それほどキツイわけではない。
部屋にあった姿見を見ると、本当に綺麗に着付けられていた。裾の方の桜の絵柄も、綺麗に見える位置にある。
帯はどうなっているのだろうと、帯を鏡に向け、振り返る。結構辛い体勢ではあるが、なんとか、みることができた。帯は、蝶結びにされていて、可愛い。
雲雀から距離をとれば、先ほどみたいに、心臓がありえない速さで打つことはない。
それでも、今も余韻で、バクバク言っていることには違いないが。
鏡で、帯を見て、これなら、自分でも出来るかもしれない、と思った。
「雲雀さん、この結び方って、私でも出来ますか?」
「できるよ」
それなら、自分でしたほうがいい。これから、先、着物を着る機会があるかどうかは別として、着物が着られたら、何かと役に立つこともあるだろう。
「じゃあ、一生懸命練習します」
「練習するなら、僕が教えてあげるよ」
思わぬ申し出に、は、驚いた。
「ええ! 雲雀さんがですか!」
雲雀に教えてもらうのは、嬉しい反面、心臓がいくつあってもたりなさそうだ。
「僕じゃ不満かい?」
「そんなことありませんっ!」
一息で言い切れば、雲雀は満足そうに笑い、
「そう、ならいいよね。休みの日はここに来なよ。教えてあげるから」
と言った。
こうなると、が雲雀に着付けを教わるのは、決定事項だ。雲雀が誰かに何かを教えるなんて、中学の頃には想像できなかった。
しかし、長く付き合ううちに、彼は教え上手なのだと思った。もちろん、優しく教えるなんてことはない。雲雀の教え方は、超が付くほどのスパルタだ。
でも、雲雀が高校を卒業して、会う時間も減った。彼は、何かの研究をし始めたようで、忙しいようで、休みの時だって、滅多に会えない。
だから、会う口実が出来たのは、にとって喜ばしいことだった。
「さあ、茶室に行こうか。ついでだから、茶道の作法も教えてあげるよ」
「はいっ!」
歩き出した雲雀の後ろを、足取り軽く、は追いかけていった。
「雲雀さん、どうして、襦袢は衿逆なんですか?」
「不埒な輩が、いないとも限らないからね」
「????」
終わり
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