微睡み誘う春の風
高校一年
コンコンッ
「…?」
昼休み。
いつものように応接室の扉を叩いたは首を傾げた。
コンコンッ
「…あれ…?」
再び叩いてみるが中からは何の反応もない。
いつもなら返事があるはずだ。
「委員長…いないのかな…?」
は自分の記憶を辿る。
しかし、今日の予定に関しては、雲雀から何も聞いていないし、草壁からも何も言われていない。
コンコンッ
「……」
三度叩いては見たものの何も起こらない。
「あれ?」
ドアノブに手を伸ばし回すと扉がカチリと音を立てて開いた。
「…失礼します…」
は少しずつ扉を開けながら顔を覗かせる。
しかし、正面に見える机は主の不在を告げていた。
「何してる?」
「うわっ!!」
後ろから声が聞こえ、は驚いた。
「…草壁先輩」
振り返るとそこには葉っぱを咥えた草壁の姿。
「あの。委員長は…」
「いないのか?」
の言葉に草壁も応接室を見る。確かに姿がない。
「何処かに行っているのかもしれないな。中で待っていれば良い」
「あ…はい…」
草壁に促され、は応接室へと入った。
パタパタッ
開け放された窓からヒバードが入ってきた。
お昼ご飯の時、一緒にいるので、この時間になると応接室へとやってくる。
「ヒバード。委員長知らない?」
雲雀にとても懐いているヒバードなら、彼の居場所を知っているかもしれないと思い、は尋ねてみた。
「ウエ!ウエ!」
ヒバードはそう言うとパタパタと羽を羽ばたかせ、窓から出て行った。
そして上方へと飛んでいく。
「…上…?」
ヒバードの飛んでいった先を窓から身を乗り出して見る。
上にあるものといえば、後は屋上ぐらいだ。
「草壁先輩、ちょっと屋上に行ってきます」
「あぁ」
はそう告げると応接室を出て行った。
「ちょっと待て」
「はい?」
草壁に呼び止められ、は足を止める。
「これを」
草壁は風呂敷包みを差し出した。
「あ、お昼ですね」
中身を察するとはそれを受け取る。
「それでは、行ってきます」
「あぁ」
草壁が頷くのを確認して、は進路を屋上に向けた。
屋上。
今日はとても天気が良くて、気持ちの良い風が吹いていた。
「…あれ…?」
いつもはお昼ご飯で賑わっている屋上に人気がない。
パタパタッ
羽音が聞こえ、上を見ると給水タンクがある位置にヒバードが舞い降りていくのが見えた。
おそらくそこに雲雀がいるのだろう。
はそちらへ向かった。
「……」
給水タンクがある場所の近くまで来て、は上を見上げる。
並高の給水タンクは、高いコンクリートの柱の上にある。そこには梯子が備え付けられていた。
しかし、それはやや高い位置にある。
もちろんこれは業者が使うもので、生徒の悪戯などを防止するためだ。
「…よっ…」
は背伸びをして片手を伸ばす。
何とか梯子の一番下の段を掴むことが出来た。
問題はそこからである。
どうやって自らの手で、自らの身体を持ち上げるかだ。
腕力があり、懸垂が出来る男子生徒ならそれも可能だろう。
しかし、は並たる女子高校生なのだ。
そして、今のは手に草壁から預かった風呂敷包みと、自分の弁当を持っている。
しかし、そこに雲雀がいるというのであれば、昼ご飯を届ける為にも登らねばならない。
「…よし…」
は小さく意気込んだ。
手に持っている風呂敷を結び直し、バランスが崩れないよう
自分の腕に、持ってきたお弁当の手提げと共に通す。
そして背伸びをして両手で梯子の一番下の段を手に持つ。
「…出来るはず…」
の考えでは、壁に右足を着け両手に力を入れると同時に右足に力を入れ上へと全身を上げ、その瞬間に左手をもう一段上の梯子に手をかける。
そして左足ですかさず壁を蹴り上がり右手で更にもう一段上へと手を伸ばす。
それをすれば最初の右足が、一番下の段にかかるのである。
そこまでくれば後は普通に梯子を登るだけで、雲雀の元へ辿りつくことができる。
制服を着てはいるが、幸いなことに今は他の生徒が誰一人この屋上にいない。
「せーのっ」
「君、何してるの?」
壁に右足を着け、掛け声を出した瞬間に上から声が振ってきた。
「い、委員長?!」
は姿を確認するなり悲鳴にも似た声を上げた。
そこには寝そべってこちらを見ている雲雀の姿があった。
「足」
「はっ!」
雲雀に指摘され、上げていた右足をは慌てて降ろす。
「君、何してたの?」
面白そうに口許に弧を描いて尋ねる雲雀には顔を赤くした。
雲雀の元に行こうとしたと言うのも恥ずかしいし、先ほどの姿を見られていたのも恥ずかしい。
は言葉にできず、俯いた。
「此処の後ろに椅子があるよ」
「え?!」
見かねた雲雀が言うとは顔を上げ、今の位置から180度移動した。
「ホントだ!」
はその椅子を持ち上げ、先ほどの場所に戻る。
その椅子に立つと、でも梯子を登ることが出来そうだ。
「貸して」
雲雀は手を伸ばすとの腕にある風呂敷包みと手提げを指した。
「あ。お、お願いします…」
はそれらを雲雀に預ける。
そして、雲雀が立ち上がり、その場から離れたことを確認すると、梯子を登った。
「あ、ありがとうございます」
お弁当を持ってもらったことと、椅子のことを教えてくれた雲雀には礼を言った。
「君が面白いことをしていたからね」
「委員長!」
雲雀の一言には再び顔を赤くする。
そうは言っても話している雲雀もやや気が気ではないところがあった。
確かに屋上には雲雀と以外、誰もいないが、決して校舎側から見えないわけではない。
給水タンクがある上は、そこが死角になっていて分からないが、上がろうとしている様は校舎の場所によっては分かるのである。そんなところを椅子も使わず制服姿の生徒ましてや女子生徒が登ろうとしているのだ。何処に目があるかは分からない。
そこで、無謀なことをしでかす前に雲雀は声をかけたのだ。
「よく此処が分かったね」
「はい。ヒバードが教えてくれました」
「そう」
の言葉を聞くと、肩に止まっているヒバードを雲雀はひと撫でした。
二人はその場に座り、それぞれお弁当を広げた。
いつもは応接室で向かい合って食べているのだが、給水タンクがある此処は、それほど広くはなく、隣に座って昼食を摂ることとなる。
「…」
「…何?」
「い、いえ!何でもないです!」
暫く動かないに雲雀が声をかけると緊張した返事が返ってきた。
触れるか触れないか程の距離しかお互いの間にないことには緊張しているのだ。
狭いので当然といえば当然で、付き合っているのだから、
この程度の距離は当然といえば当然なのだが、
常に雲雀の一歩半から二歩後ろを歩いているからしてみれば、
この距離は尋常ではない事態なのだ。
心臓が先ほどから大きな音を立てている。
手に持つお箸も上手く動かない。
こういう時、いつもいる友人達は平静を装うことができるのだろうな、
などと何処かズレた考えが脳内を過った。
それでも、なんとかは午前中の出来事や、友人達とのやり取りを話して昼食を摂った。
幸いなのは、此処に二人きりではなく、二人の間にヒバードがいてくれたことだろう。
ヒバードも時々雲雀の食べている弁当からおかずを拝借していた。
「君は作らないの?」
「え?!」
雲雀は弁当を指差して尋ねる。
は自分の料理の腕を考えた。
これまでやってきたことといえば、お菓子作りが少々と
調理実習ぐらいだ。とても雲雀に弁当を作る自信などない。
「えぇと…」
「機会があれば」
なんとか断わりの言葉を発しようとしたが雲雀が先手を打ってきた。
「…はい…」
その言葉には小さく返事をした。
得手不得手はあれど、自分の大好きな人にそう願い出られては
断わるわけにはいかない。断われないのだ。
それで喜んでくれるというのであれば尚更に。
それからもが話をし、時々それに雲雀が言葉を返しながら昼食の時間は過ぎていった。
「…」
は青く染まった空を見上げた。
その目はとても眠たそうなものだ。
天気が良くて、心地のいい風が吹いて、お腹も満足で、
それらは睡魔を誘うには十分な要素だった。
「…?!」
突然の身体が僅かに動いた。彼女の左肩に圧力がかかる。
「…い、委員長…?」
心臓が飛び出そうな感覚を必死に抑え、は左にいるはずの雲雀に声をかける。
「……」
しかし、返事は返ってこない。
「…?」
は不思議に思い、顔を向ける。
そこには目を閉じて、規則正しい呼吸をしている雲雀がいた。
雲雀は、自らの頭をに預け、眠っているのである。
「……」
は言葉にならない。
雲雀が自分の肩に頭を預けて眠っている行為と、
眠る雲雀の端正な表情が顔を横に向けると見える事実。
の心臓は先ほどから大きな音を立てている。
それでも、起こしてはならないという思いから身体を動かすわけにもいかない。
はたまらずヒバードを見た。
しかし、ヒバードも雲雀の開かれた手の上で目を閉じている。
とても、気持ちが良さそうに。
暫くの間そうしていたが、心地の良い風と、
隣から感じる人の温かさには睡魔を感じ始めていた。
午後の授業があるので、眠ってはいけないと思うのだが、
それでも自分がいる場所があまりにも心地良くて、
は意識を手放すと、ゆっくりと瞼を閉じた。
彼女が目覚めるのは、5時間目が終わり、雲雀に名を呼ばれてからである。
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