観覧車
高校二年
「わぁ…やっぱり、大きいですね」
「…そうだね」
視界に入る大きな建造物を見上げては感想を零す。隣りにいる雲雀も同じように見上げながら答えた。
「乗ろうか」
「はい」
雲雀の言葉にやや緊張気味にが頷く。
並盛港からやや離れた位置に大きく聳え立つ建造物。
友達同士だったり恋人同士だったりその組み合わせは様々ではあるが、間違いなくそこは名所となっていた。
その建造物は、観覧車、である。
日中には日中の、夜には夜の美しさが其処にはあった。手頃な値段で楽しめるこの観覧車は日々程好い集客を見せていた。
と雲雀はそんな観覧車へとやって来たのだ。
二人が此処へやってきたのは他でもない、の『観覧車って良いですよね』といった日常会話からだ。
だが、がそう言ったからといって雲雀が誘うと、すんなり返事が返ってくることはほぼない。
大よその場合否定の言葉が入り、それを雲雀が言い包めて、肯定の返事を得るような形が常だ。
それは今回も例外ではない。
「…前に進まないと、大分空いてるよ」
「え?わ!ホントだ!」
雲雀の言葉には、はっとなる。先ほどまで詰まっていた列が拓けている。
観覧車に夢中になっていたは気づかなかったが、二人がいるのは並盛町内だ。その並盛町内で雲雀が観覧車の元にやって来たのだから、作業員一同のすることは既に決まっている。誰よりも先に雲雀を通すことだ。
「足元にお気をつけ下さい」
作業員は手を伸ばし、ゴンドラを支える。
「先に入りなよ」
「あ、はい」
雲雀に促され、はゴンドラに乗り込み、奥に座る。
直に雲雀が乗り込んできたため、慌てては手にしていた荷物を自分の膝に置いた。
「…」
ガチャンッ
閉じられる扉の音を聞いて、雲雀はそのまま入り口近くの座席へと座った。
「い、委員長?!」
は思わず声をあげた。
「何?」
「え、あの、いえ…」
平然とした声で尋ねられ、口篭もる。
こうも平然とした態度で尋ね返されてしまうと自分が意識しすぎている様ではないか。は自分の体温が上がるのに気づいた。
今、雲雀はの隣りに座っている。予想では群れを嫌う雲雀なので、自分と対角線上に座るか、百歩譲って向かいに座るぐらいだと思っていた。それなのに、今雲雀が自分の隣りに座っているのだ。
しかも近い。思っていたよりも二人の距離が近い。雲雀がわざとそうしているのか、元々このゴンドラの席が狭いのか。確認したいところだが、いまのにその余裕はない。
「…どう?」
「えぇっ!はい!よく見えます!」
雲雀の言葉に慌てては答えた。
最早は振り返ることができない。ガラスに両手をついて外の景色を食い入るように見る。
「へぇ…そう…」
雲雀はガラスの方へと左手を伸ばす。
「…っ!」
の左目の視界に腕が見えた。紛れもなく、それは雲雀のもので、その手はゴンドラの壁面に触れている。
「…」
の背に、人の気配を感じる。触れてはいないが、それでも近いのがよく分かる。
「凄いですね!あの船!」
は背中を意識する自分を振り払うように海に浮かぶ灰色の船体を指差す。
「あぁ。軍用艦だね。給油先に向かうのかな」
雲雀はの言葉に答えながら彼女の様子を見て、僅かに口許に笑みを零す。
「い、委員長。見づらくありませんか?席、代わりますよ?」
「構わないよ見えてるから」
「そ、そうですか…」
苦し紛れには言ってみたものの、雲雀はあっさりとそれを返した。
「…」
暫くして海と空にオレンジが広がる。
日没が近づいてきたのだ。
「……」
「はいっ!」
耳元で囁かれ思っていたよりも大きな声では返事をした。
「夕日、綺麗だね」
「はいっ」
触れるか触れないか分からない程の距離を背に感じながらは頷いた。
食い入るように見ていた海には夕日が溶けていくところだ。
空の青がオレンジに支配される。見事なグラデーションは幻想的だった。
「…」
暫くして、雲雀は壁面につけていた左腕を引いた。
日が沈み、空には暗い色が落ちる。
「委員長?
…あぁ、もうすぐ終わりですね…」
は眼下に見える景色と自分達との距離を考えてそう思った。
いつの間にか観覧車の頂点は過ぎ、終盤へと差掛かかっていたようだ。降りるための準備をしろという意味で、雲雀は腕を引いたのだ。
始終心臓が大きく音を立てそれどころではなかったが、楽しい時間というのはこうも早く過ぎるものなんだろうかと思った。
手のひとつでも、握るべきだったのだろうかと、は窓に触れている自分の手を見る。
そんな度胸などないが、そう思ってしまうのは友人達の入知恵だ。
「…」
雲雀はの僅かな表情を読み取った。
そして小さく口許が弧を描く。
多少なりとも、は自分といることを楽しく思ってくれているのだと、分かったからだ。
「…」
雲雀は眼下の景色を視界に捉え、ある一点を見る。
上を見上げながら歩き出した作業員と目が合う。その瞬間、作業員は深く頭を下げて、その場から離れた。
「」
「はい」
名を呼ばれては振り返る。
「そのまま景色見てて構わないよ」
「ですが…」
そうこう言っている間に、ゴンドラは地上に近づいた。
だが、本来であれば現れる作業員は姿を見せない。
「もう一周しようか」
「い、良いんですか?」
雲雀の言葉には驚く。
「構わないよ。実際、作業員はこなかったんだから」
近かった地面が段々と遠ざかっていくのを雲雀が見ながら言う。
「委員長がそういうなら…」
は頷く。
「場所、変わるかい?さっきは海側見たでしょ?」
雲雀は尋ねた。
「あ。はいっ。町側も見たいです」
は今度こそ景色を楽しんでみせると思い、立とうとする。
「僕が移動するよ」
立とうとしたを制して雲雀はゆっくりと立ち上がった。
「す、すみません…」
慎重克素早くは扉側へと席を移動する。
「構わないよ」
雲雀はそう言って、再びの隣りに座った。は再び近くに感じる雲雀に心臓が鳴った。
窓に雲雀の顔が映る。
「…」
は恥ずかしくなって顔を窓に近づけた。雲雀の表情を見ていたいが、そんなことは出来ない。カッコ良すぎて、見ることが出来ないのだ。
「町側も悪くないね」
雲雀がゴンドラの壁面に手を伸ばす。先ほどと同じ体勢だ。
の背に触れるか触れないかの距離に雲雀がいる。
「あれが、並中ですね」
はなるべく意識しないよう、窓に手をつけ、右手の人差し指で眼下を指差す。
「そうだね。あっちが商店街で、その向こうが…」
雲雀は左手を伸ばし、その指で窓に触れる。
「っ!!」
の体が強張る。の背に雲雀の体が当ったのだ。
「並高だよ」
そう言って雲雀は窓に触れるの手に自分の左手を重ねた。
「…」
は声が出ない。
自分の背には雲雀の体温を感じ、視界に入る自分の左手には雲雀の左手が合わさっている。
心臓は音をたて、他の音が自分の耳に入らない。
息が詰まる。
意識しないと上手く呼吸ができない。
「緊張してるね」
「!」
雲雀の言葉にはギュッと目をつぶった。景色を見ている場合ではない。
異常に速い心臓の音がこのゴンドラに響き渡っているのではないかと思う。
「僕もだよ」
「!」
雲雀は小さくそう告げた。
その言葉に驚きはしたものの、それを確認することが自分には出来ない。
自分の背から伝わる雲雀の心臓の音を聞ければ分かるのかもしれないが、それ以上に自分の心臓の音が耳に入ってくる。
体中を流れる血液が、激流となっている音さえも、聞こえそうだ。
「…、目を開けて」
耳元で囁かれ、心臓が止まりそうになりながらも、はゆっくりと目を開けた。
視界には夜景が映っている。
「…大丈夫かい?」
「…大丈夫…ではないです…」
雲雀の質問にゆっくりと小声では答えた。
「…」
は空いている右手をゆっくりと、そろりそろりと斜め上へと窓を伝うように挙げる。
「!」
雲雀の右手が僅かに動く。
「……?」
雲雀は自分の右手を見た。
ゴンドラの壁面へと伸びる自分の手の甲に添えられる右手。
紛れもなく、それはの右手だ。
「い、委員長は…大丈夫、ですか?」
は精一杯の声を出して、今にも消えそうな声ではあったが、尋ねた。
「…大丈夫じゃないよ」
雲雀は答えると、自然な流れでの両手を取るとゆっくりと窓から体を離す。
「い、委員長?!」
バランスを失ったは体を雲雀に預ける体勢になる。
「…」
雲雀は黙っての体を自分の腕の中に収めた。
「君は本当に予想もしないことをするね」
そして、その手に僅かに力を込めた。
「…」
「は、はい…」
は首を斜め後ろへと動かし、雲雀を見上げる。
「!」
自分が思っていたよりも雲雀の顔が近い。
「あ、あの、委員長っ!だ、大丈夫ですか?!」
は慌てて尋ねた。自分でも何故この言葉が出たのかは分からない。だが、なんにせよ大丈夫ではないのは自分のほうだ。
「…大丈夫じゃないって言ったはずだよ」
そう言って笑うと雲雀はの唇に口付けを落とした。
「…、立てる?」
「…はぃ…」
消え入りそうな声では小さく答えた。
そして差し伸べられた右手に躊躇いながらも自分の右手を乗せる。
ガチャンッ
作業員が近づき、扉を開け、ゴンドラのバランスを支える。
「足元にお気をつけ下さい」
雲雀は自分が先に降りるとの左手に手を添えてゴンドラから降りやすいよう支えた。
「すっかり夜になったね、帰ろうか?」
「…はい…」
は頷く。先ほどからはほぼ放心状態に近い。
反応は返ってくるが心が此処にないようだ。
「…大丈夫かい?」
「…っ!!
…大丈夫…ではないです」
の反応と言葉を聞いて雲雀は口許に笑みを浮かべた。
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