たとえば、その後
中学二年
桜並木を抜けると、嘘のようにふらつきが治まった。
しかし、膝をついたことはまぎれもない現実。
自分から言い出した勝負だ。潔く負けを認めて場所は譲ったが、面白くないのもまた事実。
適当に群れでも狩ろうかと公園を一歩出たところで、雲雀は彼女を見つけた。
今日は天気もいいし、急ぐ用事もないので、は図書館まで歩いていくことにした。
本は重いが、陽光煌く春の散歩は楽しい。
桜が評判の公園に近づくにつれ、道路に散り敷かれた花びらの占める割合が多くなる。
コンクリートに映える桜色の美しさに夢中になったは、下を向いたまま歩き続けた。
公園を通って花見をしながら図書館へ行こう。そう決めて顔を上げると、公園は目の前だった。
「危なかった……あれ?」
入り口のところに誰かが立っている。気づいた瞬間、相手が誰かもわかった。
「委員長ッ!?」
肩に羽織った学ランだけで相手は誰か知れようもの。
並盛中風紀委員長、雲雀恭弥。の先輩で、会えると嬉しい人。
「なんでこんなところに!!」
休日に校外で雲雀と会うことはほとんどない。
会えると嬉しいとは言うものの、不意打ちの遭遇はにとって歓迎できないものだった。
できれば気づかれずに通り過ぎたい。このまま歩き去って、雲雀の今日の記憶からも消え去りたい。
よりによってこんな普段着の時に雲雀に遭遇するとは。
は会えた喜びよりもパニックに襲われた。
雲雀に会う時は制服が一番いい。
センスの良し悪しを気にしなくてもいいし、雲雀が何よりも大切にしている並中の制服のほうが気に入ってもらえる確率が高い、という打算がある。
これはもう、常に気を抜くなという教訓だろう。教訓なら甘んじて受け止めるから、どうか今だけは見逃して欲しかった。
の願い虚しく、雲雀がこちらを見ていた。
わざとらしくて今さら方向転換もできない。は入り口にもたれている雲雀に近づいていくしかなかった。
「やあ」
雲雀はいつもと変わらなかった。
の服装など、どうでもいいのだろう。安心すればいいのか、落胆すればいいのか複雑だ。
「こんにちは」
雲雀がの荷物に目をとめた。
「どこ行くの?」
「図書館です」
「そう」
「あの、今日が返却期限なので」
雲雀から尋ねてくれたのが嬉しくて、雲雀にとってはどうでもいい話をしてしまった。
気を取り直して、はこちらからも尋ねることにした。
「委員長はどこに……あっ、お花見ですか?」
園内で咲き誇る桜を見渡してがそう言うと、雲雀の空気が変わった。
「それなら終わったよ」
「そっ、そうですか」
雲雀の声が硬くなったような気がするのは気のせいだろうか。
「桜、綺麗でしたか?」
「まぁね」
そっけない返事ばかりの雲雀に、これ以上何をどう聞けばいいというのだろう。
打つ手なしでかたまるを見て、ふっと息を吐いた雲雀が背を向けた。
「行くよ」
は歩き出した雲雀の背中を見つめた。
はたして、雲雀の「行くよ」は、“僕は行くよ”なのか、“君も行くよ”なのか。
「何してるの」
振り返った雲雀の一言で後者だと判断したは、「はい」と答えて雲雀の後を追った。
一体どこに向かっているのだろう。
は雲雀の三歩後ろを歩きながら、見慣れない道に不安になってきた。
もはや図書館がどちらの方角にあるのかわからない。
図書館に行くことは告げたが、黙殺されてしまったようだ。
だが、今日の予定はそれだけなので、時間の余裕はたっぷりある。
まさかこのまま閉館時間まで付き合わされることはないはずだ。
そう判断したは、雲雀との散歩を楽しむことにした。散歩というより雲雀の後ろ姿を。
雲雀が足を運ぶたびに学ランの裾が揺れる。羽織っているので袖は吹流しのようだ。
迷いのない堂々とした足運びを見ていると、まるで黒いマントを翻して歩いているように見える。
中世の騎士のようだが、誰かに仕えているはずもなく。かといって王子様とは言いがたい。ならば魔術師だろうか。
しかし、常日頃よりトンファーを振り回す雲雀に魔術は似合わない。
やはり雲雀は他の何にも譬えられない。
そんな風にが空想に浸っていると、急に視界が開けた。
の目に鮮やかな色彩が飛び込んでくる。
「わぁ!!」
が感嘆の声をあげると、雲雀が立ち止まって振り返った。
「何?」
「レンゲがいっぱい……こんなに広いレンゲ畑、見たことないです!!」
休耕期にレンゲ畑に姿を変える田畑はたまに見るが、これほどの規模は初めてだった。
の視界いっぱいにレンゲの花畑が広がる。
よく見れば、シロツメクサも咲いていた。向こうには菜の花の群生が見える。
緑萌える畑に花の色がひときわ映える。まさに、花が織り成す春の宴。
感動に酔ったは、傍らの人物に心のままを告げた。
「きれいですね!」
笑みこぼれるを見ていると、雲雀のなかで何かが緩んだ。
の視線の先を辿って、同じものを見る。
春の色彩が温もりをもって心のどこかに滲んだ。
その感覚にわけもなく焦った雲雀はとっさに口を開いた。
「図書館に行くんじゃないの?」
そう言って何かをふりきるように歩き出す。
けれど、後についてくる気配がない。雲雀が顔だけ振り返ると、は名残惜しそうにその場にとどまっていた。
がついてこないので、雲雀は踏み出すことができない。
「何してるの」
「あっ、すみません……」
若干焦れた雲雀の催促に、ようやくは一歩踏み出したが、視線は花畑に固定されたままだった。
おそらく数歩で躓くだろう。そう思えば、自然と言葉が口をついて出た。
「そんなに気に入ったなら、また来ればいいよ」
「ここまでの道を覚えてないので、無理です」
は悔しそうだが、雲雀には何の問題もない。
「僕の気が向いたら、連れてきてあげる」
それだけ言うと前を向いて、あとはの反応を見ずに歩き出した。
雲雀の後ろから、嬉しそうなの声が追いかけてきた。
「ホントですか!? ありがとうございます!」
前を向いたまま返事をせず、雲雀はただ一人かすかに微笑んだ。
「こんなところに繋がっていたんですね!!」
遠目に図書館が見えたところでが声を上げた。
「君、図書館に行くんじゃなかったの?」
「初めて通った道なので、どこに連れて行かれるんだろうって思っていました」
見慣れた建物に安心したは、深く考えずに本音を漏らしていた。
「……早く返してきなよ」
「あの、本を借りるので時間がかかるんですけど……」
「なら僕も行くよ」
数分後、図書館に静かなる脅威が訪れることを、職員も利用者もまだ知らなかった。
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