空だけが見ていた

中学三年




 まるで死体のようだった。
 久々に並中に戻った雲雀が屋上で見つけたのは、死体のように四肢を伸ばして眠るだった。


 三月に並中を卒業して並高へと進学した雲雀は、中学時代と同じく彼の風紀委員会を発足させた。その時点で既存の風紀委員会は闇に葬られることになる。
 まずは並高の風紀を乱す輩を一掃した。
 並盛に住んでいないものは雲雀恭弥を噂でしか知らないため、無茶な勝負に挑んでくるものが後をたたなかった。
 高校は中学に比べると格段に校区が広がる。校外の委員会活動は、さすがの雲雀も手こずることが色々とあった。
 その全てを問答無用で咬み殺した雲雀としては、非常に満足のいく滑り出しだった。
 雲雀のもとに集うメンバーは元並中風紀委員が大部分を占めていた。彼らは、雲雀の行動を妨げずにサポートにまわるやり方を心得ていた。
 並高の新しい秩序が落ち着くと、雲雀はさっそく母校に戻ってきた。
 卒業しても彼の並中であることに変わりはない。
 脅威が去ったと安心していた二、三年と、雲雀を知らない新入生の群れは次々と咬み殺された。
 雲雀帰還の知らせは電光石火の勢いで校内を駆け巡った。
 
 その頃、は屋上で昼食中だった。校内中を駆け巡る警報も彼女には届かない。
 並中には屋上が二つある。
 雲雀が頻繁に出没していた特別教室棟の屋上は、彼の在学時には近寄る者は一人もいなかった。
 しかし、雲雀が卒業すると他の生徒の姿を見かけるようになった。
 今は、以外は誰もいなかった。
 昼食が終わると、一緒に来ていた友人が屋上を離れ、後には一人が残された。
 お腹が満たされると眠くなる。 
 一人になったは、誘惑に逆らえずに寝転んだ。
 抜けるような青空がどこまでも広がっている。
 目を閉じて陽光を浴びていると、とろとろと意識が溶けていく。
 確かに屋上は眠るのに最適だ。
 雲雀はいつもこんなに気持ちのいい一時を過ごしていたのか。
 屋外で寝転ぶのははしたないが、今は誰もいないからいいだろう。扉が開く音が聞こえたらすぐに起き上がろう。
 内心で言い訳を考えながら意識を保とうとしていたのに、いつのまにかは本格的に寝入っていた。


 雲雀はぐっすり眠っているを見下ろしていた。天空に身をさらして眠る様は、まるで何かの生贄のようだった。
 は足をそろえ、両腕を身体に沿って伸ばしていた。白い面が陽光をたっぷり浴びている。起きる気配は全くない。
 無防備な寝顔をしばらく眺めた後、雲雀は腰を下ろした。
 の頭側にいるので、俯くと寝顔がよく見えた。
 雲雀の肩にとまっていたヒバードが空に舞い上がった。


 するりと眠りの狭間から抜け出すと、空には雲が浮かんでいた。
 もう一度目を閉じると瞼の裏に雲の純白が焼きついた。
 南中近い太陽の光を浴びたにしてはあまり顔が熱くない。
 は全身をほぐすように両手を伸ばした。

「んーっ」

 伸ばしきる前に、何かにぶつかった。
 半覚醒状態だったので、その事実が何を示しているのか考えなかった。
 無意識に体をずらして全身を伸ばすと、息がこぼれた。

「はぁっ」

 肩甲骨をまわすようにして両手を元の位置に戻した。
 その時、何かが頭にひっかかった。目を開けて首をそらす。の頭上に雲雀がいた。

「っ!?」

 夢だと思った。否、思いたかった。
 甘い夢ではなく、目が覚めたら現実ではなかったと安堵するほうの夢。
 その瞬間、眠気も吹き飛ぶ勢いで、様々なことがの脳裏を駆け巡った。
 雲雀はいつからを見ていたのだろう。寝ている間の自分は何か粗相をしなかっただろうか。いびきとか寝言等々。雲雀が幻滅するようなことをしていなかっただろうか。
 驚きのあまり硬直したと、表情の読めない雲雀。
 無言のまま両者の視線が絡まりあうこと数秒。
 雲雀が口を開くと同時に、チャイムが響き渡った。

 キーンコーンカーンコーン

 屋上も例外ではなく、そのおかげでの金縛りが解けた。

「すみませんでしたっ!!」

 かつてないほどの俊敏さで起き上がると、扉へと猛ダッシュした。
 重い扉を一息に開けて中に入る。

「失礼しました」

 雲雀がいる辺りに向かって告げた言葉はチャイムの音にかき消された。

 
 吸い込まれるようにしてが消えた扉から目を離すと、雲雀は放置された弁当袋を見た。が忘れていったものだ。
 がいなくなったので、雲雀も寝転んだ。
 空が青い。
 雲が流れている。
 戻ってきたヒバードが雲雀の頭の横に降り立った。

「ヒバリ ヒバリ」
「ふわぁぁ」

 大きなあくびをもらすと、雲雀は目を閉じた。
 は戻ってくるだろう。
 一体どんな顔でと思うと、雲雀の唇に笑みが浮かんだ。
 の存在が雲雀を変えたとは思わない。
 ただ、もしと出会っていなかったら、雲雀の日常は今と全く違ったものになっていることだけは確かだ。
 目を閉じた闇の向こうに、幼子のような寝顔が浮かびあがる。
 情欲に誘われるには、まだあどけなさのほうが勝っていた。雲雀に晒された唇に色香はない。
 だからだろうか、雲雀はに指一本触れられなかった。
 ガラスケースに入った人形を前にしたようにただ眺めていた。
 触れて楽しむものではなく、かといって観賞用とは言い切れない。
 一番近いのは保存中か。誰にも渡すことはないが、自分の手にする時でもない。
 だから大切にしまっておく。
 それでもじゅうぶん、は雲雀のものだった。

 孤高の浮雲は、いつもその影に地上でただ一人の少女を包んでいた。
 

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