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中学一年




 その日、が応接室に向かうと、扉の前に草壁が立ちはだかっていた。
 応接室は現在取り込み中なのかもしれない。はすぐさま回れ右をした。
 背を向けたところで、草壁から声がかかった。

「待て、
「こんにちは。あの、図書室で待っています」

 は草壁から十分距離があるにもかかわらず、さらに遠ざかった。

「なぜだ?」
「だって、お客さんが来てるんじゃないんですか?」

 すっかり風紀委員会の活動拠点になっているが、応接室は来客を迎えるところのはずだ。

「部屋には委員長お一人だぞ」

 相変わらずはおかしなこと言う。
 並中の応接室に客が来ることはない。訪れるのは委員会のものに限られる。
 その辺りのことをはまだ飲み込めていないようだ。
 入学して半年以上たつのにそれでは、命がいくつあっても足りない。しかし、だからこそなのかもしれない。
 じりじりと応接室から遠ざかるを引き止めるべく、草壁は一歩踏み出した。

「今日はに頼みたいことがあって待っていたんだ」
「何ですか?」

 草壁からの頼みごとなど初めてだ。風紀委員会の手伝いだろうか。
 日々書類仕事に励む雲雀を思い出して、は後退を止めた。
 近づいてきた草壁を見上げたは、驚きに目を丸くした。

「頼む、。病院に行くように、委員長を説得してくれ」
「草壁先輩こそ、病院に行く必要があると思うんですけど」
 
 近くで見て初めてわかったが、草壁の頬には大きな痣、口の端には血をぬぐった跡がある。

「オレのことより委員長の体が心配だ」
「委員長も怪我してるんですか?」

 草壁のひどい怪我の様子から、は応接室にいる雲雀が心配になった。

「そうではない。……実は、委員長は体調を崩されているようなんだ」

 そう言って草壁は、今朝からの雲雀の様子を語った。
 報告によれば、群れを狩る合間に何度か倒れかけていたらしい。
 しかし、委員が気遣いの声をかけると、逆に不機嫌になってトンファーが飛んでくる。草壁もその一人というわけだ。
 今日だけで一体何人の委員が地に伏したか。
 それなのに雲雀は普段どおりに振舞っているので、見ているこちらがハラハラする、というわけだった。

「でも、昨日は普通でしたよ」

 は昨日の帰りを思い出したが、特に変わったところはなかったように思う。

「委員長は誰にも弱みを見せない方だからな。だが、それでも限界はくる。容態は回復せずに悪化しているようなんだ」
「そんな……」

 草壁の言うとおり、雲雀は具合が悪いことを誰にも悟られないようにしていたのだろう。
 あの雲雀が隠そうとしていることを見抜くのは、にとって容易ではない。
 それでも、具合が悪いという異常事態を見抜けなかった能天気な自分がは情けなかった。

「草壁先輩にできないことが、私にできるわけないです」

 雲雀が普段とは違うことを見抜き、なおかつ平素どおりに振舞おうとしていることを察する草壁のほうが、よりよほど雲雀のことを考えている。
 こうして自分の情けなさを真っ先に考えてしまうのも、雲雀を大事にしていない証拠ではないか。
 こんな時にも尻込みするに、草壁の我慢も限界だった。

は委員長がどうなってもいいのか!?」

 以外の一体誰が、今の雲雀に近づけるだろう。
 草壁も手段を選んでいられなかった。こうしている間にも、雲雀は一人で苦しんでいるのだ。

「そんなわけないです!」

 の即答が全ての答えだった。 

「では、頼んだぞ」

 の返事を待たずに草壁はいずこへと歩き去っていった。
 ともかく雲雀が心配なので、様子を確かめるためにもは応接室の扉をノックした。

「……入りなよ」

 しばらくして応える声があった。
 いつも通りの声にも聞こえるし、心なしか掠れているような気もする。扉越しなので、よくわからない。
 失礼しますと声をかけて、は応接室に入った。
 雲雀はソファに座って書類を見ていた。ゆったりくつろいでるのか、ぐったりもたれているのか微妙なところだ。

「副委員長と何話してたの?」

 開口一番鋭く尋ねられて、の頭は真っ白になった。病人のイメージからは程遠い鋭さだ。

「えっと……」

 この言い方からすると、内容までは聞かれていないようだ。
 雲雀は人から心配されるのが大嫌いみたいなので、草壁の心配のほどが知れたら大変なことになる。
 間違いなく、草壁用の救急車のほうが先に必要になるだろう。
 しかし、だからといってどうごまかせばいいのか。

「……世間話です」

 無難な返答を何とかひねりだして、はじっと雲雀を見つめた。
 なるほど、頬がうっすらと赤い。
 普段はここまで雲雀を見つめることはできないが、今は雲雀の具合を確かめるという使命がある。
 大義名分をふりかざし、はそのまま雲雀を見つめ続けた。

「何?」
「いえ。あの、委員長。何かしゃべってください」
「は?」

 そういえば、雲雀が長く喋っているのをあまり聞いたことがない。いつもの話に相槌を返すだけだ。
 それでは声が掠れているかなど判断できない。

「君、一体何を――ッ」

 そこで雲雀が顔をしかめて喉に手をあてた。

「委員長っ!!」
「何?」

 しかしそれも一瞬で、雲雀はすぐに手を元に戻した。さらに観察すると、うっすらと汗をかいている。
 心配しているのを悟られずに雲雀に休んでもらうには、一体どうしたらいいのか。
 こうまで頑なに不調を隠そうとされれば、自覚がないのかとさえ思えてくる。
 そんな相手に、どう言えば病院へ行ってもらえるのか。

「あっ!!」

 思わず声が出てしまい、雲雀に「何?」と聞かれるが、その時のの思考は彼方にあった。
 なにも、言う必要はない。
 言葉を尽してもダメならば、実力行使あるのみだ。
 その前にはハンカチを取り出した。そんなを不審そうに見ている雲雀の前で、緊張で汗ばんできた額をぬぐって前髪をかきあげた。
 は意を決して雲雀に近づくと、隣に浅く腰をかけた。肩がつくぐらいに接近している。
 横を向いて雲雀の頬へと手を伸ばす。

「失礼しますっ!!」

 は雲雀の顔を自分に向かせると、もう一方の手で雲雀の前髪を持ちあげ顔を近づけた。

ッ、何を!?」

 ゴツッ

 勢いがつきすぎたので、骨と骨がぶつかる鈍い音が響いた。
 くっつけあったおでこがじわりと痛むが、これでの知りたいことはわかった。

「委員長、熱いですよ」

 雲雀の熱が額からじかに伝わってくる。雲雀にはの平熱が伝わっているはずだ。
 それにしても、雲雀の熱は高すぎるような気がする。

「それに汗もかいてます」

 頬にあてた手が雲雀の汗に少し濡れている。
 は続けて雲雀の喉に手をあてた。

「扁桃腺も腫れてるんじゃないですか?」

 医者ではないのでどこが扁桃腺かよくわからないが、首のつけ根あたりを探ると何となく腫れているような気がする。
 実感してもらおうと、いつのまにか書類を取り落としていた雲雀の手をとって自身の喉に触れさせる。

「委員長もそう思いませんか? って、委員長!?」

 終始無言だった雲雀が、のほうに倒れかかってきた。
 いくら雲雀が細身でも、意識がない人間の体は重い。
 雲雀の体がぐにゃりと傾いてソファからずり落ちそうになるのを、脇の下に手を入れて何とか持ちあげた。
 荒い呼吸にまざって微かな喘鳴が聞こえてくる。
 雲雀の体をソファに預け、草壁を呼ぶために部屋を出ようとしたところで、後ろから声がかかった。

「どこ行くの」
「委員長!!」
 
 が振り返ると、雲雀がソファの背に手をついて立ち上がるところだった。

「久しぶりに院長に顔見せに行くよ」


 応接室を出ると草壁が待っていた。タクシーが裏門に待機中だと言う。
 あとは草壁に任せてが帰ろうとすると、草壁に慌てた様子で止められた。雲雀と一緒に病院まで行ってほしいと頼まれた。。
 付き添いなどとても務まらないと思ったが、草壁は一緒に行けないらしい。 
 雲雀は何も言わないし、が決めかねて病院に行くのが遅れれば、雲雀が気を変えてしまうかもしれない。
 は諸々の事態を、雲雀についていくことの言い訳にした。
 そして現在、雲雀とタクシーの後部座席に座っている。
 きっちり一人分のスペースを真ん中に空けて、は反対側に座る雲雀をバックミラー越しに見た。
 運転手も雲雀の様子をうかがっているのは、具合が悪いことがわかるからだろうか。
 当の本人は見られていることに気づいているのかいないのか、退屈そうに窓の外を眺めている。

「つっ、着きました……」

 かつてないほどなめらかにタクシーが停車する時になって、は大変なことに気がついた。

「お金ッ!!」

 応接室を出てそのまま乗ってきたから雲雀もも手ぶらだ。そもそも、中学生がタクシー代ほどのお金を持ち歩いているわけがない。

「御代は結構です」
「でも…………」

 食い逃げならぬ、乗り逃げである。がぐずぐずしている間に雲雀はさっさとタクシーを降りてしまった。
 雲雀の「行くよ」の一言で、は運転手に深く頭を下げてお礼を言うと、タクシーを降りて雲雀を追いかけた。
 タクシー代については、後で草壁に相談すればいい。

 
 季節柄、平日にもかかわらず、病院には老若男女が溢れていた。
 さすがは並盛町最大規模の総合病院である。その名も、並盛中央病院。
 受付に向かう雲雀の後を追いながら、はまたまたピンチの予感である。

「保険証ッ!!」

 カウンター下に貼り付けられたポスターの“保険証の確認をさせていただきます”の一文を見て焦る。保険証など中学生が常時持つものではない。
 焦るに対し雲雀は冷静だった。

「必要ないよ」
「そうですよね。この場合は仕方ないですよね」

 急病ならば保険証がないのもわかってくれるだろう。後日確認でもいいのかもしれない。
 カウンター越しに受付のやりとりをする雲雀のそばで、はポスターの説明文をじっくり読んだ。

「やあ」
「ヒッ、ヒバリくんっ!?」
「院長いる?」
「はいっ! すぐにお呼びいたします」

 といったやりとりは、一生懸命ポスターの文字を追うの耳を素通りしていった。


 すぐに院長が慌しくやってきて、雲雀を丁重に奥へと案内した。
 雲雀に「ついてきなよ」と言われて一緒に奥へと進んだが、さすがに中には入れないので、廊下で待つことにする。
 しばらくすると草壁がやってきた。

「ご苦労だったな、

 草壁を見ると、ここに至るまでに張りつめていた気持ちが緩んだ。

「いえ。あの、草壁先輩……」

 は今、ある疑惑にとらわれていた。
 草壁が来てくれたからには、この不安を笑い飛ばしてほしかった。

「何だ?」
「委員長は、大丈夫ですよね?」
「もちろんだ」
「何か持病とかあったりしませんよね?」
「いや、そんな話は聞いたことはないが。どうしたんだ?」

 泣き出しそうなの様子に、平静だった草壁もつい引き込まれてしまう。

「病院の人みんな、すごく深刻そうで。お医者さんもたくさん集まっているんです」

 雲雀が入っている診察室の前を通る看護師達は一様に顔色が悪く、表情も固い。全員、一度は診察室をうかがってから通り過ぎていく。
 廊下を急いでやってきて部屋の奥に消える医師を何度も見かけた。
 これではまるで腫れ物に触るようだ。それに、誰がここで診察を受けているか全員知っているみたいだ。
 もしや雲雀は深刻な不治の病にかかっており、病院の関係者全員にひそかな同情を寄せられているのかもしれない。
 雲雀はとても強いが、いかんせん外見はあんなにほっそりしているし、作りは繊細だ。
 具合が悪いのはもしかして、持病のせいなのかもしれない。
 なかなか出てこない雲雀を待つうちに、の考えは悪い方へ悪い方へと流されていた。
  
「そんなことないですよね?」
「……そッ、それは……」

 思いつめた顔で不安を吐露するに、草壁は言葉につまった。
 まさか、院内の全員が雲雀を恐れているからとはとても言えない。

「だっ、大丈夫だ! 心配するな。委員長は無理がたたって、風邪が悪化しただけだ。しばらく入院されるから、オレはその用意を」
「入院するんですか!?」

 草壁が言い切らないうちに、が言葉をかぶせた。

も委員長の具合の悪さを見ただろう。オレが戻ってくるまで、委員長を頼むぞ」

 診察は間もなく終わる。先に説明を受けた草壁は、を安心させるように力強くうなずいた。

「はい。……あ、そうだ。タクシーの人にお金が払えなかったんです。その人はいいって言ってくださったんですけど」
「それは委員会でなんとかしよう」

 とは言うものの、何もせずともよいことはには黙っておこうと思う草壁である。
 の心配は全くとんでもない杞憂だが、普通はそう思うものなのだろうか。しかし、草壁はすぐにそれを否定した。
 には何か、彼女独自のフィルターを通して見ているところがある。
 こちらが混乱させられることもしばしば――というか、ほとんどがそう――だが、雲雀を心配している気持ちは本物だ。
 上を下への大騒ぎの病院の様子にの顔が再び曇った。

「……心配するな。委員長は強い方だ」
「ただのって言ったらおかしいですけど、ほんとにただの風邪なんですよね?」
「ああ、そうだ。こじらせてしまっただけだろう」

 雲雀を心配している二人は、閉ざされた診察室をしばし無言で見つめた。


 個室に備え付けのソファに座ったの前にはベッドで眠る雲雀がいる。
 今は喘鳴もなく、寝息は穏やかだ。
 この病院はただの風邪でも、なんと丁寧に診てくれるところだろう。
 はこの病院を選んで運んでくれたタクシーの運転手にあらためてお礼を言いたい気持ちだった。
 十分な診察と投薬を受けて眠る雲雀は、それでもやはり普段の健康な時とは違うのだと分かる。
 ひょっとすると、が一番よく知っているのは、雲雀の寝顔なのかもしれない。
 けれど、十分な睡眠と休養をとれば、すぐに元気になってくれるはずだ。
 自分の元気を分けてあげられたらいいのにと思いながら、は飽かず雲雀を見つめていた。
 その雲雀が急に目を開いたと同時にノックの音が響いた。

「失礼します」

 医者かと思ったら草壁だった。軽めの鞄がひとつ、それに花束と豪勢なフルーツ籠を持っている。

「こちらをお使いください」

 そう言って草壁は備え付けのロッカーに鞄をしまった。

「これは風紀委員会からです」
 
 花束とフルーツ籠を雲雀に見せて、籠はベッドサイドの小卓に置いた。

「いらないよ」
 
 体を起こした雲雀の一言で、草壁の手が止まった。
 草壁が目だけを動かしてと視線を合わせた。ここまでくると、も草壁の言いたいことは分かる。

「もったいないですよ。あの、お見舞いなので……」

 恐る恐るが口を挟むと、雲雀がのほうに顔を向けた。

「食べたいものでもあるの」
「私がですか?」
「君以外の誰がいるの」

 むしろあなたしかいませんと言いたいが、病人にその言い方もない。
 言葉につまったは、とっさに正直なところを答えてしまった。

「……じゃあ、桃を」

 この季節に珍しいが、きっと温室栽培なのだろう。おそらく、相当値がはるものに違いない。
 もっと安そうなものを選ぶべきだったと気づくのは、いつものごとくあとの祭りである。

「いいよ」

 雲雀の一言で草壁は籠の持ち手を放し、最後に残った花束を持ちかえた。

「花瓶にいけてきます」
「私、やります」

 自分も何か役に立つことがしたい。
 がソファから立とうとしたら、草壁に止められた。

は委員長のそばにいてさしあげろ」
「でも……」
「頼んだぞ」

 そこまで言われてはも引き下がるしかなかった。

「すみません」

 結局は、ここまで雲雀についてきただけだった。
 明日はお見舞いの品を持ってこようと、草壁が出て行った扉を見て固く決意する。
 草壁が去って会話が続かなくなったは、ふと思い立って自分から話しかけた。

「そう言えば委員長。草壁先輩が来る前に目が覚めたみたいですけど、誰か来るってわかったんですか?」
「僕は葉が落ちる音でも目を覚ますからね」
「それはすごいですね」
 
 一緒にいる時間はそれなりにあったはずだが、は今まで気づきもしなかった。
 雲雀から視線を外し、教えてもらったことを自分なりに解釈したはひとつの結論を出した。

「でもそれって、よく眠れないってことですか?」

 答えがないので雲雀を見ると、目を閉じて眠っていた。眠りは浅くとも寝つきは良いようだ。
 しかし、ほんの少しの物音で目を覚ましてしまうなら、寝つきが良くても睡眠時間は十分ではないのかもしれない。
 だからよく屋上で昼寝をしているのかと、は妙に納得してしまった。
 

 できれば自分がこの部屋を出る時は、雲雀には深い眠りについていてほしい。
 療養中の雲雀が少しでも長く安らかな眠りを享受できるように。
 すぐに戻ってくる草壁のことをすっかり忘れて、雲雀の回復を祈るだった。


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