わがままな王子様
中学二年
放課後の応接室で雲雀を待つ間、は本を読んでいることが多い。
応接室のソファは座り心地がよすぎて本を読むのに適しているとはいえないが 、それも慣れだった。
が読んでいる本は、昨日から家で読み始めたものだった。先の展開が気 になって、できれば昨日のうちに読み終わりたかったのだが、いつの間にか寝て しまっていた。
学校に持ってきても、休憩時間は友人達と過ごすので、放課後のこの時間まで 我慢した。
そろそろ日が傾こうという頃、物語はクライマックスに突入した。のページをめくる手にも力がこもる。ふいにその手が止まった。
流れるように文章を追っていた目が何度も同じ行を辿り、視界がだんだんぼや けてくる。の頭の片隅で警報が鳴った。
今すぐ読むのをやめるべきだが、物語は佳境を迎えて目が離せない。まばたき を我慢して、歪んだ視界のまま読み進めた。
しかし、ごまかしもそう長くは続かない。目の縁に溢れたものが頬を伝ったと ころでは観念した。
開いていた本をぱたりと閉じる。片付ける音にまぎれて鼻を啜り、顎のところ で留まっている雫をハンカチで拭い取った。
なんとか収拾をつけたが顔を上げると、雲雀と目が合った。
「君、泣いてるの?」
雲雀が手にした湯呑みが中途半端な高さで止まっている。
「いえっ、もう泣いてません!」
泣き顔と証拠隠滅を見られたことがを必要以上に慌てさせた。
「泣いてたってこと?」
雲雀は湯呑みに口をつけずに戻すと、肘をついた手にあごをのせた。
「一瞬です! 大河の一滴です!! あくびみたいなものです」
最初の一言ですでに墓穴を掘っているので、の言い訳は支離滅裂だった。
書類の処理に飽きてきた雲雀は、必死にごまかそうとするに興が乗ってきた。
「泣くのはいいけど、どうせなら、もっと泣きなよ」
「えぇッ!?」
泣くのは弱い証拠として、ヒバリをイラつかせるかと思っていたが、もっと泣 けと言われたは言葉につまった。
「できないの?」
「えっと……」
雲雀に何かをして欲しいと言われたのは初めてだ。
ここは是非とも希望を叶えたいが、物語の余韻はすでに吹き飛んでしまい、今 から続きを読んでも話に集中できない。
それに、やはり泣き顔をさらすのは恥ずかしい。
けれども、ここで無理ですと言おうものなら、つまらないヤツと思われて、飽 きられてしまうかもしれない。
どんなに理不尽な要求でも、雲雀相手のに冷静な判断が下せるわけもなかった。
が固まっていると、窓から戻ってきたヒバードが、雲雀の頭にふわりと 舞い降りた。
「ヒバリ ヒバリ」
いつものごとく雲雀の名前を連呼した後、つぶらな瞳をに向けて、の名前も呼んだ。
その時、追いつめられたに光明が差した。
ごくりと唾を飲み込んで喉の調子を整える。軽く息を吸ってムセそうになり、 少し慌てた。
そして――
「わ、わんッ」
針が落ちる音も聞こえそうな静寂が二人を包んだ。雲雀の頭上でヒバードが首 を傾けた。
全く手ごたえがないということは、の意図は雲雀に伝わらなかったのだろうか。
それとも、照れを捨てきれなかったせいで、声が小さくて届かなかったのかも しれない。
ならばもう一度。
「にゃー……?」
室内を満たす静寂が一気に冷えた。これにはも手ごたえを感じた。感じすぎるほどだった。
泣くと鳴く――雲雀に冗談は通じないということを、は身をもって悟った。
無反応の雲雀と、猛省中の。凍りついた空気は雲雀のため息で砕かれた。
「……この子は?」
「はい?」
やっと雲雀が喋ってくれたのに、唐突だったので聞き逃してしまった。
「この子だよ」
そう言って雲雀は頭上のヒバードに目を向けた。どうやらリクエストされたら しい。
しかし、ヒバードの鳴き声とは何ぞや。
並中校歌を歌っているが、あれは鳴き声ではなく歌い声だ。
それ以外で口にすることといえば――
「ヒバリ ヒバリ」
の頭の中を読んだように、ヒバードがもうひとつの選択肢を鳴いてみせ た。
(それは無理!!)
こうなればとるべき道はひとつしかない。
覚悟を決めたは、雲雀に向けていた身体を正面に戻した。すっと息を吸い込んで、唇 を薄く開く。
「ミードーリ、タナービくゥ〜 ナーミモーリーノ〜……」
ヒバードらしく聞こえるようにと微調整を加えるせいで、ときおり不思議なビ ブラートがかかる。
そのたびには握りこぶしを膝に押しつけて、恥ずかしさでどうにかなりそうな自分 を抑えた。
目の前のテーブルに焦点を合わせて、絶対に雲雀のほうは見ない。
「……ナーミーモ〜リチュー〜」
途中、歌詞を忘れそうになったりしたが、なんとか一番を歌いきった。
顔が熱い。はこれほど自分を馬鹿だと思ったことはなかった。
それなのに、雲雀はさらに無茶を言う。
「二番は?」
「二番もですか!?」
さすがにそれはありえない。そう思って雲雀の反応をうかがうと、見たことも ないほど楽しそうな顔をしていた。
「最後まで、鳴きなよ」
(ウケてない! 楽しそうだけど、ウケてないよ!!)
の心の叫びは、もちろん誰にも届かず、誰の賛同も得られなかった。
この後、は雲雀に言われるまま三番まで鳴いた。
歌い終わった後、肩で息をしながら、これから本を読む時は涙腺に気をつけよ うと思うあたり、全く学習していなかったが、本人にその自覚はなかった。
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