雨の日の攻防
高校一年
部室棟から出た山本を迎えたのは、降り出した雨の音だった。
「おー降ってきたな」
後ろに続く先輩に場所を譲りながら、山本は手持ちの折り畳み傘を開いた。
「よかったスね。練習終わった後で」
「全くだ。身体冷やさないように気をつけろよ」
「ッス。おつかれさまでした」
来週に控えた練習試合をほのめかし、同じく傘を開いた先輩が帰路に着くのを見送って山本はきびすを返した。
「……マジっすか」
の呟きは誰にも拾われることなく雨音に吸い込まれた。
着替えをすませたが外に出ると、小雨というにはいささか降りの強い雨に迎えられた。
こうなることを予想して急いだけれども、それよりも雨足のほうが早かったようだ。
今日は傘を持たずに家を出た。置き傘は先日の帰宅で役に立ったが、その後学校に持ってくるのを忘れていた。
面倒だが学校の置き傘を取りに行くしかない。がそちらに足を向けたところで、後ろから声がかかった。
「」
顔を見るまでもなく相手はわかっていたが、ふりむいた山本が傘をさしてこちらにやって来るのを見ては顔をしかめた。
「何だ?」
「……傘忘れた」
はカバンを肩にかけて何も持っていないことをアピールするように両手を持ち上げて見せた。
「置き傘なかったっけ?」
「それも忘れた。というわけで、学校の置き傘借りてくる」
歩き出そうとしたは山本に呼び止められた。
「」
「何?」
顔だけ横に向けると、山本がさしている傘を軽くふった。
「オレの傘入るか?」
「は?」
不意をつかれたは素で聞き返してしまった。
それはにとって思わぬ提案だった。
山本の傘に入れてもらうことは一瞬たりとも思い浮かばなかった。
なぜなら、相手が山本だからだ。
そんなの心理には気づきもせずに、山本は自説を説いた。
「こっから置き傘んとこまで結構あるだろ? 雨の降り強くなってるし、急いで帰ったほうがよくないか?」
確かに山本の言うことも一理ある。傘置き場までは距離もあるし、この時間帯だと校舎内は施錠している扉があるので、最短ルートを通れないのだ。
一番遅くまで残っていたのは野球部だったようで、他に生徒の姿も見えない。を待ち構える校内はひっそりと夜の気配を帯び始めていた。
それでもには山本の傘に入る気はなかった。
「……部室に置き傘ない? それか、誰かの忘れ物とか」
に言われて部室を探した山本は一本の傘を手にして戻ってきた。
雨音を聞きながらようやく二人も家路についた。
最初は並んでいた二人だが、徐々にのペースが速くなる。
の右側を歩いていた山本が、追い抜いて行きそうなの傘に声をかけた。
「どーかしたか?」
「何が?」
「歩くの早くなってないか?」
「別に」
山本に指摘されたは、その自覚があるにもかかわらずスピードを緩めずに歩き続けた。
「具合でも……って、肩濡れてるじゃねーか!?」
に追いついて傘の中を覗きこんだ山本は、そこでの左肩が濡れていることに気がついた。
濡れたブラウスが肌にはりつき、滲みは腕全体に広がっている。
「わかってる」
山本が持ってきたのは忘れ物のたぐいではなく、破れて使えなくなったために置きっ放しにされていた傘だったようだ。
穴の位置が隣を歩く山本とは反対側にあったために見過ごしていた。
「オレのとかえるか?」
答えを待つまでもなく、山本はの傘の柄に手を伸ばそうとする。
「いい」
対するはにべもなく切り捨てた。
「濡れると身体冷えるよ」
「それはだって同じだろ」
山本らしくない気色ばんだ切り返しには少し困った。
「大事な部員に風邪ひかせられない」
「だから、それはも同じだって。それにオレ、風邪ひかないし」
「なんとかだから?」
冗談めかしていてもあくまで譲らないに、山本もこれ以上言うのは無駄だと悟った。
長い付き合いだ。これでが女だからと言い返した日には、思わぬ反撃にあいそうだ。
そこで山本は肩にかけたスポーツバックからタオルを一枚取り出した。
「これ肩にかけとけよ」
「いいよ」
本当はだってそうしたかったのだが、傘を持ってきてくれた山本の手前それができなかった。
こうして事情がオープンになった今なら、山本に気兼ねなく自分のタオルを使える。
それなのに山本は素直に引き下がらず、持っていた傘の柄を首にはさむと、の傘の下に強引に入りこんできた。
「ちょっ、山本!?」
「心配いらねーって。これ使ってないやつだから」
「そういう意味じゃない! 私だってタオルぐらい持ってる」
「いいじゃねーか。もたもたしてたら余計濡れるって」
の言い分をさえぎって、山本は強引にの肩にタオルをかけた。
再び傘を手にした山本は、満足そうに笑って歩き出した。
その後を追いかける形でも歩き出す。
濡れたブラウスがはりついた肌はあいかわらず冷たいが、わずかに温まるような気がするのは、たぶんそういうことだろう。
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