イーブンな言い分
高校一年
「あのっ、私、山本君のことが好きです。……それで、よかったら、付き合ってくださいっ!」
「ごめんな。今は野球のことしか考えられねーんだ」
最近多くなってきたこれらのことに、山本は面倒がらずにきちんと向き合ってきた。
断った瞬間の相手の表情の変化に胸は痛むものの、だからといってこちらの気持ちが惹かれることはない。
男女の付き合いに興味がないわけではないが、自分が打ち込んでいるもの以外に時間も気持ちも割けない。
「私、山本君の邪魔しないから。野球の次でもいいです」
「うーん……」
負けずに迫ってくる少女に山本はやや押され気味になる。
これ以上どう断ればいいのかと視線を逸らした窓の向こうで、渡り廊下にたたずむ二人組を見つけた。
一人は中学来の友人であり、野球部マネージャーのである。もう一人は知らないが、男子生徒だった。
開け放った窓から二人の声が届いてきた。
「、来てくれてありがとう」
「キャプテンの紹介ですから」
「今日はおりいって話があるんだ」
「初対面でおりいってって……」
「正直、には一目惚れなんだ」
「それはどうも」
聞こえてくる話の展開に山本は思わず声をあげた。
「なっ!?」
「どうしたんですか?」
いきなり大きな声をあげた山本に、玉砕直後の少女のうるうるお目々から涙が引っ込んだ。
「いやっ、なんでもない!」
焦った様子で両手を顔の前で振る山本の頬に嫌な汗が一筋流れた。
「あの……それで、駄目ですか?」
気を取り直して再度迫り来る少女に、山本は最後通告をするしかなかった。
「あっ、ああ。……悪ぃ。二番目とかはつくりたくねーんだ。相手にも悪いし、野球に打ち込みたいし。ごめんな」
問題を片付けたところで渡り廊下へ駆けつけてみると、そこにはすでに二人の姿はなく、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
「山本、調子悪いですね」
バッティング練習に励む部員の中で、打率がありえないほど低い山本を見たが隣に立っているキャプテンに声をかけた。
「そうだな。どうしたんだ、あいつは?」
キャプテンは横目でを見た。その目は、なら答えを知っているだろうと言っている。
「私に聞かれても……」
山本の不調の原因など、にわかるはずもない。体調を崩しているようではないし、ツナたちと喧嘩していることもない。
しいて言えば、昼休みの告白ぐらいだろうか。当然、のいた場所から山本がいた空き教室は見えていたし話も聞こえてきた。
平素と違うイベントといえばそれぐらいしかいない。だが、山本にとっては特別珍しいことではいないはずだ。
断った相手のことを実は山本も憎からず思っていたとかいうなら話は別だが、たぶんそれはないだろう。山本にとって相手は初対面のようだった。
そんな風に細かく観察していた自分に少しイラッとしたが、それはこのさい置いておく
そこまで考えたところでキャプテンから話しかけられての思考は中断された。
「山本の不調の原因はほぼ100%がらみだろ」
これで片がつくとばかりに言い切られてはげんなりした。
「人を厄病神みたいに言わないで下さい」
「山本にとっては厄病神にも勝利の女神にもなるからな」
「それ以上言うと、どうなるか分かってますよね?」
年功序列を無視した脅しが効果を発揮する前に顧問の声がかかった。
「ほら、お前も練習戻れ」
「ッス」
渡りに船とばかりにキャプテンはグラウンドに戻った。
の隣にやってきた顧問が絶不調の山本を眺めて口を開いた。
「それで、山本に何をしたんだ? それともしなかったんだ?」
「知りません」
顧問との間でも同じことが繰り返されそうだったのでは早々に見切りをつけた。
いつも一緒に帰っている友人も入れた三人の帰り道で、いつもより早めに山本が別れを切り出した。
「オレ、今日はこっちな」
「どっか寄るの?」
友人がたずねると、山本は軽くうなずいた。
「まーな」
いつもと同じ笑顔だが、その表情が少しかたい。本人にその自覚はなさそうなので、深く聞かずに手を振った。
「そっか。じゃあね」
「またな」
友人と山本の会話に口を挟まなかったは去り行く山本の背中を無言で見送った。
山本はに別れを告げずに去っていった。
「……今日の山本、変だったね」
「不調みたい」
友人にその理由を求められたが、が答えをもっているはずがない。
「どうするの?」
「どうするって……」
「エースの不調でしょ?」
動けなかったに都合のいい動機が与えられてしまった。
「……ちょっと行ってくる」
渋々背を向けるを友人は苦笑して見送った。
並盛バッティングセンターで、は山本の背中を見つけた。
隣のボックスが空いていたので、すかさずそこに入った。
「も汗流しに来たのか?」
隣のボックスに立ったを見て、山本が一球逃した。
「まあ、なりゆきで。そっちはいつ終わるの?」
「オレはもうちょっと打っていく」
いつもなら「打っていく」でいいが、今日ばかりはそうもいかないようだ。打率も落ちているし、球の伸びもよくない。
「終わるまでつきあうよ」
この調子では山本が満足するまで一体どれだけ付き合わされるかわからない。
覚悟を決めたは、一球目に集中した。
山本が見切りをつけたのは、陽が沈んだ後だった。薄藍色に染まる町をは山本と二人で歩いている。
「調子悪いね」
「っかしーな。なんでだろうな」
不調から抜け出せない欲求不満に、山本の顔が曇る。
「ホント、どうしたの?」
「なんかモヤモヤして集中できないんだよな」
「……いつから?」
誘導尋問のようで居心地が悪いが、エースの不調回復もマネージャーの務めである。は自分に言い聞かせた。
「今日の昼休みかな……そういえば、誰と話してたんだ?」
山本のその一言での中にある可能性が生まれた。
昼休み、渡り廊下、空き教室。の中で今日の出来事がひとつの答えを組み立てていく。
黙りこんでしまったに山本がもう一度声をかけた。
「?」
「……あれは新聞部の部長だよ」
「新聞部?」
「ほら、私よく写真撮ってるでしょ? それで、行事写真とかがキャプテン経由で新聞部の人に渡ったみたいでさ。部で使ってもいいかって話」
「スゲーな」
不調はさておき、単純に顔を輝かせて尊敬の目を向けてくる山本を見ていると、さきほどの読みは違ったのかもしれないと思えてくる。
てっきり山本は、せっかく入部したマネージャーを失うかもしれないと思って調子を崩したのかと思ったのだが。
山本はが話した相手が新聞部員だと知らなかったようだ。最初に自己紹介を交わしたのだが、聞こえていなかったのだろう。
「だけど、惚れたとか言われてなかったか」
「そこは聞こえてたのか。正確には一目惚れ……って、自分で言うのはどうなの、これ?」
自画自賛のようでは苦い顔になる。
「それってどういう意味なんだ?」
どうも山本はの会話の一部しか聞いていなかったようだ。
そしてどうやら山本がひっかかっているのは、(誤解ではあるが)が告白されたというところらしい。
友人としてでもいい。もしこれが嫉妬めいたものならば、それを利用してほんの少し逆襲してやりたい気持ちがの中で芽生えた。
昼休みの会話に心がざわついたのは山本だけではない。
山本がたちの会話を聞けたのだから、にだって山本たちの会話は聞こえていた。
山本に告白していた少女は可愛かった。二人は端から見ると、いいカップルになりそうだ。だが、山本には今のまま野球に打ち込んでもらいたい。
エゴだと承知では山本をからかうことにした。これがからかいになるかどうかは山本次第だが。
「どうもこうも、そのままの意味だよ」
の答えを聞いて不意をつかれたような顔をした山本が、一転してそのまなざしを険しくさせた。
射抜くような目を向けられたのは初めてで、はその視線の鋭さに息ができなくなる。
を見据えた山本の瞳には、引きずり込まれて雁字搦めにされてしまいそうな吸引力があった。
「……ってのは冗談で、撮影の腕に惚れたってこと」
心臓に悪いことは即刻やめて、は正直に答えた。
「私が撮った写真を気に入ってくれたみたい」
「、新聞部に入るのか?」
やっと話が繋がった山本が、最初に予想した反応を示したが、はすぐにそれを否定した。
「誘われはしたけど、私は野球一筋だよ」
も山本と同じだった。二人が見据える未来は甲子園以外ありえない。
「そっか。なんか安心したら腹減ったな」
「……そう」
その安心は何に起因するものなのか、聞いてみたいような、みたくないような。
どうやら山本のモヤモヤがに伝染したらしい。
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