無自覚なベクトル

高校二年




「ヤバっ……」

 練習試合で他校を訪れた並高野球部マネージャーのテンションは着いて早々に下がった。

「どうしたんだ?」
「タオル忘れた」

 こんなことで士気を下げてはいられないが、過ごしにくくなるのは確実だった。この炎天下で汗をかいても拭くことができないのはつらい。
 今日一日のわずらわしさを思うと、舌打ちしたくなる。
 それでも黙々と試合の準備をしていると、先ほど声をかけてきた山本が何かを差し出した。

「何これ?」
「何って、リストバンド」
「見りゃ分かるって」

 山本は腕にしたばかりのそれを取ってに差し出したのだ。

「これつけとけよ」

 リストバンドがあれば、タオルがなくても汗の始末に困ることはない。けれど、これから試合に挑もうという人間から借りていいものか。まずいだろう。
 数秒の沈黙で断りの言葉をひねりだそうとしたを封じるかのように山本が強引にの手首をとった。

「もう一個持ってるから気にしなくていいぜ。それにこれ、今日初めて使うからきれいだぞ」
「そういう問題じゃナイ」

 山本の手にとられたの腕は、山本ほどではないが日々の練習でよく焼けている。
 おろしたばかりというだけあって、リストバンドはの手首にもぴったりあった。
 山本相手にこれ以上言っても無駄だと悟ったは手首にはめられたリストバンドをありがたく受け取った。

「じゃあ、遠慮なく使わせてもらう」
「おう」
「帰り、新しいの買って返すから」
「それ返してくれていいぜ」
「そうはいかん」
「そうなのか?」
「それが礼儀というものだ」
「そっか」
「集合ー」
 
 グラウンドから集合の声がかかった。

「じゃ、行ってくるな」

 スパイクの紐を確認して、帽子を手にグラウンドに向かおうとする山本の背中には声をかけた。

「山本」
「ん?」

 山本は急いだ様子も見せずに振り返ってまっすぐを見た。

「サンキュー」
「ん」

 逆行で暗くなった山本のシルエットが一度うなずいた。それを見たは目を伏せてスコアブックを開いた。


 練習試合も滞りなく終わって学校まで戻ると軽いミーティングがある。
 その間、マネージャーであるには荷物の後片付けがある。
 全てが終わった日暮れ前にようやく解散となった。

 「山本、行くよ」
 
 の呼びかけに、先輩陣から他愛ない冷やかしの声があがる。

「おっ、デートか?」
「まだ元気があまってるみてーだな、山本、
「買い出しに付き合ってもらうだけですよ。今日は色々消費が激しかったから」

 
 嘘ではないが、100%の真実でもないことを言って、は軽くあしらった。

「いつもありがとな。も疲れてるだろ? 明日でもいいぞ」

 さすが格が違うキャプテンはそこまでおどける気もないようで、マネージャーのにねぎらいの言葉をかけてくれる。

「いえ。ほっとくと気になるタチなんで」
「大丈夫っスよ、先輩。オレ、荷物持ちやるんで」
「そうか。山本もしっかり休めよ」
「ッス。おつかれさまでした」
「おつかれさまでした」

 物足りなさそうな他のメンバーをひきつれて、キャプテンも学校を後にした。
 先輩陣を見送って二人も歩き出した。

「いつものとこでいいか?」
「うん。足りないのはプロテインとテーピングだけだから」

 よく利用するスポーツショップは品揃えも豊富で、たいていのものはそこで間に合う。

「荷物持ちよろしく」
「任せとけ」


 まずは必需品をカゴに入れ、他のコーナーで足をとめつつリストバンド売り場にやってきた。

「どれにする?」

 山本が使うものなので本人にお伺いを立てたところ、真っ先に手に取ったのは、のバッグに入っているものと同じものだった。

「これでいいだろ」
「これ?」

 思わず不満の声をあげてしまったに、山本が不思議そうな顔をする。

「そうだけど。なんかマズイのか?」
「別のにすれば?」

 何かと便利な頂き物を今後も使っていこうと思っていたのに、山本に同じ物を選ばれると使いにくくなる。
 しかし、山本にはなぜストップがかかるのかわからないらしい。
 かといって、山本に説明しても果たしてこの機微がわかるかどうか。否、わからないだろう。
 モテる自覚なしの山本相手に別の物を勧めるのも、こちらがムキになっているようで癪である。
 そこでは隣に並んでいる同じブランドの別のリストバンドを取った。

「こっちのが布面積広いから、使い勝手がいいよ」

 それはがもらったものよりロゴが小さかった。色は同じだが、遠目から見るとロゴが同じかどうかは分からないだろう。
 心情的にも対外的にもこちらのほうがいい。甲子園も近づいてますます外野がうるさくなってきたところだ。仲間内でも外でも。

「それもそうだな。じゃ、こっちにするか」

 の作戦は成功で、あっさり納得した山本は手にしていた商品を棚に戻した。

「カゴ入れといて」
「帰りは持つからな」
「当然」


 後日、この微妙に違うリストバンド話を聞いた仲間内から「ペアウォッチみたいだね」と言われることを、その時のは当然、知らなかった。


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