意地と維持
高校一年
月が変わり数日経った頃、日本全国に寒波が訪れた。
既に冬至を過ぎてはいるが、冬本番。そんな言葉が似合う季節になってきた。
「…暑ぃ…」
廊下を歩きながら飛鳥は小さく呟いた。
「ん?何か言った?」
隣りにいた友人が首を傾げる。
「いやぁ。寒くなってきたなーって思って」
風に揺れる木々を見ながら飛鳥は答える。
「ホントすっかり冬だよね」
「うん。これからもっと寒くなるなー」
友人の言葉に頷きながら飛鳥は自分の手を擦り合わせた。
どうも体温が高いようだ。触れ合わせた手が感じるのは熱しかない。
普段なら、冷えているはずなのだが。
「…っと、悪ぃ。先戻ってて。ヤボ用」
飛鳥は軽く片手を上げる。
「寒いから気をつけてね」
友人が頷く。
「ん」
短く返事をして、飛鳥は進路から外れた。
「…あー…」
階段を降りて裏庭への扉の前で飛鳥は壁にもたれかかった。
そして右手首を掴み、左腕の時計を暫く見る。
「…チッ…」
15秒ほど時計を見つめて小さく舌打ちをした。
ガラッ
飛鳥は裏庭への扉を開け、外に出る。
「あ~…良い風…」
寒風が飛鳥に当る。
手の体温が下がるのを実感しながら、飛鳥はその手で自分の顔に触れた。
「風邪った…」
表情を歪めながら呟く。
冷たい風に当っても特に寒いと感じないのは
自分の体温が上がっているからに他ならない。
「もーちょいあたってくか…」
飛鳥は白い息を吐きながら呟いた。
「…藤咲っ」
「うわっ!」
ポン、と肩を叩かれ飛鳥は驚いた声を出した。
「わ、悪ぃ」
「山本か…。驚かすなよ」
振り向いて目が捉えた人物の名を口にしながら、飛鳥が睨む。
「でも、何回か呼んだんだぜ?考え事か?」
「…」
飛鳥は僅かに表情を歪めた。
まったく耳に入っていなかった。
山本の様子からしてみればおそらく3回ぐらいは呼んだのだろう。
だが、飛鳥が気付いたのは肩を叩かれた最後の一言のみだ。
脳が熱を持っているのだろう。風邪特有の症状である。
もっとも、あまり表には出ていないのか気付かれることはなかったのだが。
「…で、何か用?」
「一緒に部室行こうぜ」
「…おう」
笑顔で言った山本の誘いに飛鳥は小さく頷いた。
「…」
部室への道、飛鳥はほぼ黙ったままだった。どちらかというと彼女は聞き手だ。
相手が山本なら尚更である。時々合いの手を入れる程度だ。
「ってことで今日頼むな。
藤咲?聞いてるか?」
「え。あぁ、悪ぃ。ボーッとしてた」
山本の顔を覗かれ反射的に顔を引いた。
「次の練習試合のことで話があるから今日はミーティングメインだって言ったんだよ」
「そ、そっか。分かった」
「頼むぜ?」
「…応…」
念を押されるように山本に言われ、飛鳥は気まずそうに頷いた。
「何か様子変だな?」
「いや、そんなこと…」
言った瞬間に飛鳥の体が僅かに傾いた。
「オ、オイ?!」
山本が慌てて飛鳥の手を掴む。
「悪ぃ。よろめいた」
「…」
「…手、放せ」
自分の手首を掴んだまま黙る山本に飛鳥が促す。
「…藤咲。お前、熱くね?」
眉間に皺を作りながら山本が尋ねた。
「…別に…それより手、放して」
「明らかに熱いだろっ」
「ちょっ!!」
山本が急に飛鳥の額に手を伸ばし、前髪を軽く上げると自分の額をくっつけた。
「めちゃくちゃ熱いじゃねーかっ」
自分との体温差が歴然としていたのだろう。山本が怒るように言う。
「やめろっ」
飛鳥は慌てて空いている手で山本を押した。
熱を計る行動自体は別に目立つようなものではないが、
相手が山本なら話は別だ。悪目立ちしすぎる。
「風邪ひいてんだろっ」
「問題ない」
山本の言葉に飛鳥は顔を背ける。
「部活休め」
「ヤダ」
言われた言葉に飛鳥は山本を見て答えた。
「部活に支障ない。このフワフワしてんのが良いんだよ」
「そんなの理由になると思ってんのか?」
鋭い目で山本は飛鳥を見た。
運動部は体が資本というのを分かっているからこその言葉だ。
「ちょっと来い」
「わっ」
山本は飛鳥の手を引っ張ると歩き出した。
振り解こうにも普段より力が出ない。
だが、出たところで高校男児の力に勝てるわけがないのだが。
「キャプテン」
「ん?なんだなんだ、お前等。手ぇ繋いで」
1階上にあがり、山本と飛鳥は2年の階へとやってきた。
「仲良いなー」
ははっと陽気に野球部主将は笑う。
「明らかに連行されてるんですけど…」
飛鳥は引っ張られながら訴えた。
「藤咲が風邪なんで、送ってから部活行っても良いですか?」
「…風邪?」
山本の言葉に主将は飛鳥を見る。
表面上は特に変化がないのか彼は首を捻った。
「どれ」
「うぉ」
「なっ」
主将は飛鳥の首に手を伸ばし、飛鳥と自分の額を合わせた。
「こりゃ風邪だな」
「だから風邪って言ってるじゃないですか!」
主将の言葉にやや怒りながら山本が訴える。
「なに怒ってんだ、お前は。とにかく、藤咲は今日早退」
「けどっ」
「主将命令」
「…はい…」
主将の言葉に飛鳥は仕方なく頷いた。トップの言葉には力がある。
「脈も速いし、熱も高い。表情には出てねーけどな。
あんま無理すんな」
そう言って主将はコツンと飛鳥の頭に手刀を食らわした。
「で、山本は責任もって藤咲届けること。監督には俺から言っとく」
「はい」
主将の言葉に山本は頷いた。
「っつーわけで、これ貸してやる」
ほい、と主将はポケットから山本の手にある物を乗せた。
「鍵?」
「チャリで行け。そのほうが速い。
メタリックレッドのチャリだから分かるよな?」
「はい」
山本は頷いて鍵をポケットに仕舞った。
「風紀委員には気をつけろよ?二人乗りは違法だからな」
ははっ、と笑って主将は二人を見送った。
「山本、手ぇ放して」
「逃げるだろ?」
「…逃げないよ」
山本の言葉に飛鳥は溜め息を吐きながら答えた。
主将から言われれば帰るより他に選択肢はない。
「…ん」
飛鳥の表情を見て山本は掴んでいた手を解いた。
「立ち乗り禁止」
「…はいはい…」
主将のメタリックレッドの自転車へ辿り着くと山本は先手を打つように告げる。
サイドにかけていた足を降ろし、飛鳥は大人しく荷台に座る。
しかし、その座った方向は前でも横でもなく何故か後ろ向きだ。
「落ちるぞ?」
「落ちないよ」
そう言って飛鳥は山本の背にもたれるように体を傾けた。
「藤咲?」
背に感じた感触に山本は顔だけ後ろに向ける。
「だるい。早く行って」
「…応」
飛鳥の表情は見えないが、山本は笑顔を見せて頷いた。
「ちょっと待ってろ」
「?」
商店街の途中で山本は自転車を止め降りた。
首に巻いたマフラーの位置を直しながら飛鳥はその姿を見送る。
「栄養補給」
少しして出てきた山本は手にしたペットボトルを飛鳥に渡した。
「レモネード」
ボトルに書かれた商品名を飛鳥が発音する。
風邪が悪化しているのかその速度はとてもゆっくりだ。
「もう少しだからな」
「うん」
温かいペットボトルの栓を開け、一口飲んでから飛鳥は頷いた。
「とーちゃく」
キッと音を立てて山本は自転車を止めた。
「悪ぃ」
「気にすんなよ」
飛鳥の言葉に山本は笑顔で答える。
「それより、早く寝て回復しろよ?」
「おう」
答えながら飛鳥は自転車を降りた。
「キャプテンにもよろしく言っといて」
「分った」
頷いて山本は自転車を方向転換させる。
「…なんつーか…」
「?」
呟かれた言葉に飛鳥は首を傾げた。
「野球、楽しいんだけどさ。
藤咲いねーとイマイチ盛り上がらねーからさ」
「…は?」
飛鳥は瞬きをひとつした。脳の処理速度が遅いのか理解するのに時間がかかる。
「やっぱ監督いて選手いてマネージャーがいて野球部だからなっ!」
「分かった。早めに治す」
山本の言葉に飛鳥が笑みを零す。
「じゃ、全快したら、また明日な!」
「うん。部活頑張れ」
「おう」
ヒラヒラと手を振って山本は自転車をめいっぱいこいで学校へと向かった。
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