ふとした瞬間にこの感情の正体を実感する

高校二年




文化祭の余熱もようやく治まり、
気がつけば肌に触れる風が鋭い冷たさを帯びていた。
そんな風を、僅かに開いた窓から感じていた山本は
向かい合った野球部員に1冊の本を手渡した。

「これサンキューな。助かった」
「あぁ。今日飲料奢れよ」
「分かってるって。じゃ、部活でな」
「おう」

借りていた教科書を受け取った仲間に見送られ、山本はその教室から離れた。

「さてと…」

廊下を歩きながら逡巡する。
先ほど確認した時刻では教室に戻ってツナや獄寺と話すには
時間が中途半端になるような気がするが、小腹を満たす為に
購買で何かを買って食べるには時間が足りない。

「…よし」

それらの可能性を消去すると、出てくる答えは1つだ。
山本は体の方向を階段へと向けて、降り始めた。

「いた」

彼が辿り着いた先は校舎裏だ。
そこに見知った影を見つけて小さく呟いた。
その語感が僅かに嬉しさを帯びる。





近づいて声をかけると相手は驚いた様子もなく山本に目を向けた。

「おう」

軽く挨拶をするとは目線を自分の膝へと向ける。
そこには黒猫が大人しく丸まっていた。

「気持ち良さそうだな」

山本は丸まっている黒猫の頭をそっと撫でる。

「にゃー」

黒猫がひと鳴きして山本に挨拶をした。
中学の裏庭で出会った黒猫との交流は、
高校へ進学した今も尚続いているのだ。

「美人だなー」

は嬉しそうに黒猫の頭を撫で、頬を撫でると
その手を猫の顎下へと持ってきて指を動かし撫でる。
すると黒猫はゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らした。

「大体の猫がゴロゴロいうけど、そんな気持ち良いのか?」

首を捻りながらが呟く。

「…」

山本は猫の頭を撫でていた右手をの顔へと移動させた。

「え、何?」

近づいてきた手に思わずは山本を見上げる。
すると山本は徐にの顎下を猫のそこを撫でるように指を動かした。

「ちょ…」
「どうだ?猫の気分分かるか?」

楽しそうに山本が笑いながら尋ねる。

「ん〜っ…」

小さく声を出しながらは目をやや強く閉じる。

「何か…くすぐったい?」

目を閉じたまま、感じるくすぐったさに耐えながらは答えた。

「ははっ。くすぐったいのか」

くすぐったさに耐えるが珍しくて面白いのか山本は笑う。
それでも最初よりは感覚が慣れたのか目を閉じる力が弱まっているようだ。

「………」

の表情を見て笑っていた山本の顔が、
弧を描いていた山本の口許が
沈黙と共にそれを止めた。
当然、目を閉じているはその表情が分からない。
それに加え、くすぐったさに意識が集中しているのか、
彼が急に黙ったことに気付かないでいる。

「…」

山本はゆっくりとした動きで、自分の顔をに近づけた。

「にゃぅっ」
「?!」
「うぉっ!」

突如聞こえた声に、山本は自分の顔と伸ばしていた右手を反射的に引いた。

(俺…今…何、しようとした…)

考えが脳内を駆け巡った瞬間、山本の体温が上昇した。
で、驚いて思わず声を上げ、目を開ける。

「びっくりしたー…」

何度か瞬きをして、は自分の膝にいる黒猫を見た。

「ニャー」

猫はひと鳴きすると添えられていたの掌に自分の頭を摺り寄せる。

「あぁ、ゴメンゴメン。手ぇ止まってた」

ははっと苦笑いをしながらは猫に謝る。

「…?どうした?山本」

反応のない山本には猫から視線を移動させた。

「あぁ、ビックリしてた」

山本は我に返って答える。

「何か、顔赤いけど大丈夫か?」
「ん?あぁ、寒さにあてられちまったかな」

尋ねられた言葉に思わず山本は自分の顔に触れる。

「なら良いけど。調子崩すなよ?野球部エース」

はニヤリと笑う。

「心配ねーよ」
「あ!いた!二人とも」

新たに聞こえてきた声に二人はその方向を見る。

「ツナに獄寺」

山本が口を開く。

「次の理科、移動になったから理科室だよ」
「10代目の御手を煩わせるな。
 携帯鳴らしたのに気付いてねーだろ。お前等」

獄寺に言われてはポケットに入れていた携帯を取り出し、開く。

「おぉ、ホントだ」

ディスプレイに着信を示すアイコンが表示されている。

「ついでにサイレントにしてた」

ははっと獄寺に苦笑した。

「あ。俺携帯鞄に入れっぱなしだ」

山本は今気づいたように答える。

「…お前等な…」
「まぁまぁ、獄寺君。伝えられたから良いじゃない」

怒り出しそうな獄寺をツナが宥めた。

「あ、ヤバ。なら教科書取りに行かないと」
「あぁ、京子ちゃん達が持って行ってくれてる」

の言葉にツナが答える。

「マジか。なら合流しないと」

その言葉が分かったのか、ヒラリと黒猫はの膝から飛び降りた。

「またね」
「にゃー」

軽くひと撫ですると黒猫はと山本を見ながら鳴き、
その場を小走りに去って行った。

「私先行くな。ありがと、ツナ、獄寺」

ヒラヒラと手を振っては静達に合流すべく入り口へと走った。

「おら。10代目に持たせるわけにはいかねーからな」
「あぁ、サンキュー」

獄寺から渡された教科書類を受け取ると山本は礼を言った。

「…?何か棒読みだね」
「え?」
「あ。ううん!ゴメンっ」

小さく呟いたツナだったが、山本に見られて思わず謝った。

「何となく、そんな感じ受けただけ。けど…何かあった?」

ツナに尋ねられ山本は落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。

「や、山本?!」

それがあまりに急だったので、つられるようにツナもしゃがみ込む。

「…に顔合わせづれー…」
「え…?」
「…お前何したんだ?」

消えるように呟かれた声にツナは驚き、
獄寺は顔を顰めながら山本を見下ろす。

「いや、何もしてねーけど…」

教科書を自分の頭の上に持って来て山本は小さく項垂れた。
何もしていない。だが、何かをしようとしていた。
俺は…何をしようとした…。
あの時、猫が鳴かなかったら何をしていた…。
野球部のマネージャーで、大切な友達で。
そんなアイツに、に俺は何をしようとした…。
最近、ふとした瞬間にこんな衝動に駆られる。
自分の中にある感情がその引き鉄になっているというのも分かっている。

「…よく分かんないけど、俺達が見た限りじゃ、
 が何か意識してる感じには見えなかったけど?ね、獄寺君」
「はい。いつもどおりだと思います。
 おい、顔合わしづらいも何も、これからおまえ実験の班一緒な上に
 席も隣り、更に部活でも一緒だろーが」

獄寺の言葉に山本は彼を見上げる。

「10代目が何ともないっつってんだ、信じろ」
「いやいやいや、ただの勘だから」
「十分な理由です」

ツナの言葉に獄寺は強く頷いた。

「…何ともないってのもまたなぁ…」
「テメ―はどうしたいんだよ」

いい加減我慢の限界なのか苛々した口調で獄寺が言う。

と俺って仲良いのか…?」
「寝言は寝て言え」

獄寺が斬り捨てる。

「けど、アイツ色んな奴と仲良いだろ?」

山本は獄寺を見上げる。
自分達はもちろん、クラスの奴、野球部、新聞部、
そしてあのヒバリ率いる風紀委員とも仲が良い。
何故だかその比率は男子の方がやや多い気がする。
野球部に所属している時点で、その率は自然と上がってしまうのだが。

「あいつの場合半分趣味が混ざってんだろーが」

特に新聞部など仲が良いというよりは写真提供者と掲載側ぐらいの関係だ。

「…まぁ、確かにね。サバサバしてるから俺も話しやすいし」

ツナは答えながらゆっくりと立ち上がる。

「けど、山本が一番近い所にいるんじゃない?
 そこは、自信もって良いと思うよ」

山本を見ながら手を差し出す。

「超直感ってやつか?」

それを掴み、立ち上がりながら尋ねる。

「そんなの必要ないよ」

ツナが笑う。掴み所のないではあるが、それでも
5年も同じクラスにいるのだ。日常を見ていれば分かるものがある。

ガラッ

「おい」

上から降ってきた声に3人は顔を上に向けた。
見上げた先、3階の窓に人影が見える。

「あと3分で鳴るぞ」

指を三本立て、大窓の下にある小窓から顔を覗かせたのはだ。

「分かった!すぐ行くよ」

ツナが軽く手を上げてそれに答える。

「山本」
「…おっと」

呼ばれた後、突如降ってきた物を反射的に山本が両手で挟む。

「寒いなら使え。いらないなら返せ」
「?」

閉じていた手を開くとそこにはカイロがあった。
寒いのが好きながこんなものを持っていること事体珍しい。
それを見て、山本の口許が弧を描く。

「ありがとな!」
「早く来ないと鳴るよ」

そう小さく告げては頭を引っ込めた。

「少しは元気出た?」
「あぁ」

山本を見上げながらツナが尋ねると、笑顔が返ってきた。

「10代目、急ぎましょう。テメーも急げ」
「うん」
「おう」

鳴り響く始業開始の音を聞きながら3人は理科室へ向けて走った。


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