黄昏時

高校三年




「あ。山本先輩!」

夕方、部活の時間。
グラウンドに姿を見せるなり、野球部員達が一斉に顔を上げた。

「頑張ってるな」

白球を追いかける彼等を見ながら、山本は笑う。
卒業してから久し振りに並高へとやってきた。
部員達からしてみれば、山本は並高野球部の歴史に名を残す名選手だ。

「おー。山本、バット振ってみるか?」
「あ。良いんですか?」

監督の言葉に山本の目が輝く。
丁度フリーバッティングをやっていたため、投球用のマシンが置かれていた。

「みんなも山本のバッティング見とけー」
「はいっ!」
「んな凄くねーって」

監督の言葉に苦笑しながら、山本はバットを借りると所定の位置につく。
バットが手に馴染む感触を確かめて、何度かバットを振り、軽く息を吐いて構える。
その瞬間に場の雰囲気が変わる。

「センター返しっ!」

キンッ

マシンから放たれた球が宣言通りの方向へと飛ぶ。

「ライト前!」

キンッ

「レフト前!」

キンッ

山本は次々とボールを宣言した場所へと飛ばす。
絶え間ぬ努力に裏打ちされた実力と、彼が持つ抜群のセンス。
部員達は歓声を上げることもなくその光景を見つめていた。
ひとつでも、何かひとつでも自分の野球に吸収できないものかと。

「ホームランッ!」

一際大きな声で山本は宣言する。
バットを持つ手に力を込め、丁寧な重心移動。

カキーンッ

芯を捉えて振り抜かれたバットに、
送り出されるように白球は彼方へと飛んでいった。

「スッゲー!!」
「カッコイー!」
「さすが山本先輩!」

ホームランを境に部員達から拍手と歓声があがる。

「ははっ。やっぱ気持ち良いなっ」

山本も満足そうだ。

「よく言うな。
 3年になっても野球部にしょっちゅう顔出してたくせに」

監督が笑いながらやってくる。

「野球やらないと逆に調子出ないんですよ」
「どうせまだ何回かくるんだ、お前達もその間にいろいろ吸収しろよ」
「はいっ!」

監督の言葉に部員は力強く返事をした。
春のセンバツと夏の甲子園。
三年連続、計六回の優勝。完全制覇。
先代が打ち立てた記録はあまりにも大きいが、それに追いつきたい、
守りたい、恥ない記録を残したい。その思いは常に持ってきたものだ。

「そういや、今日は一緒じゃないんだな」
「え?」

練習に戻った球児達を見ながら監督は山本に話しかけたが、
その山本は不思議そうに監督を見た。

だよ。お前が来るより先に野球部見に来たんだ」
「…が?」

監督の言葉に山本は首を傾げる。

「丁度ランニングしててな『タラタラ走ってんじゃねーっ!』って激飛ばしてたぜ」

その光景を思い出したのか、クツクツと監督は笑う。

「俺の出る幕ねぇ感じだったな。相変わらず」
「こっち来た後すぐ帰ったんですか?」

監督の話を聞いているのかいないのか、山本は質問する。

「いや。校舎のほう歩いて行ったぜ。文字通りフラフラ〜ってな」
「そうですか…」

山本は校舎へと目を向ける。

「まだ帰ってねーんじゃないか?通りゃ気付くし」
「ども」

軽く礼を言って、山本はグラウンドを出ていき、校舎へと向かった。

「相変わらずバタバタした二人だなぁ…」

走っていく山本を見ながら監督は呟いた。



バタバタと廊下を走りながら、山本はを探した。

「お。山本。補習でも受けてくか?」
「勘弁してください」

途中、出会う教師達にそんな声をかけられながらも山本はきょろきょろと周りを見る。

「…が行きそうなところ…」

山本は呟くと、まず新聞部へと向かった。
ガラッ

「あれ?山本」
「お」

教室に見知った顔を見つけ、山本は軽く手を上げる。

「お前も後輩指導?」
「んー。まぁ、そんなとこ。
 なぁ、見なかったか?」

友人の質問を適当に誤魔化しながら、山本は尋ねた。

?俺は、今来たとこだから見てねーけど。
 なぁ、見た奴いるか?」

グルッと教室を見て他の新聞部に声をかける。

「ちょっと前に卒業式の写真何枚か届けに来てくれましたよ」

部員の一人が言うと周りも頷き、肯定を示す。

「でもその後すぐ出ていっちゃいました」
「そっか、さんきゅ」

部員に礼を言うと、山本は新聞部の活動拠点を後にした。

「後はー…」

何箇所か巡った後、山本は階段へと目を向けた。

「屋上、か…」


ガチャッ

「…っ」

ドアを開けると風が吹き込んでくる。
春になったとはいえ、吹きつける風はまだ冷たい。
空は青と紫と橙がグラデーションを作っていた。

「…」

グルッと周りを見て山本は目的の人物を探す。

「!」

山本の目が何かを捉えた。
屋上の決して高くはないフェンスの上に、足を外に出す様に座っている人影。
紛れもなく、それはの姿だった。

「…

山本は近づいて、控えめに声をかけた。

「…山本…」

ゆっくりとした動作で、は振り向く。その表情に驚きはない。

「驚かね?普通」
「…見えてたから」

山本の言葉には軽く笑って目線を眼下へと向けた。

「グラウンド」
「あぁ…」

その言葉に山本は頷く。
がいる位置からは、野球部が使っているグラウンドがよく見えた。

「んなことより危ねーぞ」
「ん」

短く返事をしたもののは動く気配がない。
ただ、フェンスに座って何処を見るわけでもなく、見ている。
目の前に広がるのはオレンジ色に染まりつつある並盛町だ。

「…」

山本はその様子をじっと見た。
時々、は一人でぼんやりとしている。
悩んでいるわけでも、怒っているわけでも、考え事をしているわけでもない。
文字通りぼんやりとしている。
さっきまで皆といたのに、気がついたらふらりと離れている。
彼女と幼少の頃から仲の良い友人にしてみれば特別驚くことでも、
こちらが気を使うようなことでもないらしい。

「…何かあったのか?」
「いやぁ…別に…」

山本の言葉に、目線を変えることなく、
ゆったりとしたやや間延びした口調では答えた。

「ただ…」
「ただ?」
「バラバラなんだなぁ、とか、思ったり」

は膝に肘をつけ、手に顎を乗せながら言葉を続けた。

「ツナも獄寺もみんな大学行ったり専門行ったり就職したり…。
 まぁ、同じである必要はないし、同じでいられるとは思ってないけど…。
 見事にバラバラだな、とか思って」

軽く息を吐いて、は言った。
中学からこっち六年間持ち上がり同然に皆でつるんできたのだ。

「で、ちょっとノスタルジックな感情になっただけ」

そう続けると、は山本のいる方へ、フェンスを降りた。

「…とか?」
「どっちなんだよ」

最後に付け加えられた言葉に山本は軽くツッコミをいれた。

「…さぁ…」

先ほどまで話していたことに興味をなくしたように、
つまらなさそうな表情では答える。

〜」

山本は名を呼ぶと、急にの体を引き寄せてキュッと抱き締めた。
一瞬、の体に緊張が走ったのが分かった。

「…なんてなっ」

そう言うと山本はパッと手を離す。
急に抱き締められたりすることをが苦手とするのは経験上もう分かる。
うっかりすると彼女から拳が飛んでくるのだ。
だから山本は半歩後ろに下がる。
が、その山本の足が止まった。

「……?」

山本は自分の腰に抵抗を感じ、自分の腰を見る。
彼女の手が、自分に回っている。

「ひょっとして…当りか?」
(抱き締めて欲しかった…?)
「…」

は答える代わりに山本にキュッと抱きついた。
そして恥ずかしいのか顔を山本の肩口に埋めている。

「…そっか…」

山本は嬉しそうに笑うと、を抱きすくめる。

「そうだ、

ずっと抱き締めていても逃げようとしないの頭を撫でながら山本は何かを思い出した。

「何?」

僅かに顔を上げてが山本を見上げる。
その目は何処か気持ち良さそうだ。

「オヤジが心配してたぜ?」
「え?」

山本の質問には首を傾げる。

「てっきり並大行くもんだと思ってたからさ。
 は専門行くだろ?親父が『ちゃんはバイト続けてくれるのか心配だ』って言ってた」
「するよー。親父さんからいっぱい学びたい」

答えながらは自分の頬を山本へと摺り寄せる。

「それ聞いたら親父も安心する」

山本が楽しそうに笑う。

「俺も安心した」
「!」

言われた言葉にはバッと顔を上げた。

「てっきり並大だと思ってたのは親父だけじゃないんだぜ?」

山本は恥ずかしそうに笑う。

「専門行くって言ってた時からちょっと心配してた」
「…」
「けど、とはこれからも一緒だな」

そう言って山本は嬉しそうに笑う。

「…山本…」

は山本に回していた手を解くと、その手を今度は山本の首へと伸ばす。

「?」

首へとまわされた手に山本は疑問符を浮かべる。

「…」
「!!」

か細い声でが山本の耳元で何かを言うと、山本の顔が一気に赤くなった。

っ」

名前を呼ぶと山本はの頭を抱えこむように強く抱き締めた。

「俺も好きだぜっ」

滅多に聞けない言葉に山本は応えた。
その表情はからは見えないが、声調から笑っているのは簡単に想像が出来る。
そして、彼は抱き締めていた力を緩めて、コツンと自分の額との額を合わせた。
互いの表情がそこで初めて分かる。
笑顔の山本と気恥ずかしそうな
互いの顔が赤いのは夕日のせいだけではない。

「……」

ゆっくりと名前を呼ぶとは言葉を発する代わりに目を閉じた。
すると山本はの唇にキスをした。

「好きだぜ」
「うん。知ってる」

合間で囁く様に会話をして、顔を赤くしながらも笑う
確認すると山本はもう一度キスをした。



「山本」
「ん?」

抱きついていたが手を緩めて山本を見上げる。

「ありがとな」
「おう」

の礼に一瞬面食らったものの、直に笑顔で山本は頷く。

「よくわかんねーけど、が元気出たなら良かった」
「別に元気がないわけじゃないよ」

山本の言葉には反論する。

「そうだ。親父が今日飯食わねーって言ってたぜ」
「そういうの早く言ってよ。親父さんの誘いなら俄然行きます」

報告が遅い山本には咬みつく。

「悪ぃ、悪ぃ。じゃぁ、決まりな」
「うん」

大して悪びれる様子もなく山本は謝り、を抱き締める。

「あー…けど…」
「何?」

言葉を濁した山本には尋ねる。

「…言っても怒らね?」
「時と場合と内容によるかな」

山本が首を傾げて尋ねると、冷静なが答える。
黄昏モードは終わったようだ。

とまだ一緒にいたい」
「…」

山本の言葉には驚いた表情をする。

「晩飯にはまだ時間あるだろー?普通に一回家帰れるし」
「…山本」
「ん?」

が軽く手招きをすると、山本は素直に背を屈める。

「だアホめ!」
「は?」

ゴツンッ
言うなりは山本に頭突きを食らわした。

「っつ〜…」

山本は額を抑えて小さな悲鳴を上げる。

「何するんだよ!」
「そんなつまんないこと聞くな!」

意見を求めようとした山本にが言葉をぶつける。

「つまんねーってそんな言いか…」

反論しようとした山本の言葉が途中で消える。

「五月蝿いなぁ」

は山本を強く抱き締めた。

「……?」
「…嫌なわけないだろうが」

そう呟くの顔が赤い。

「同じなのな」
「黙れ」

やけに嬉しそうに言う山本には悪態をつく。


「山本。野球部見に行くぞ、野球部」
「え?」

突然離された手に山本は呆気に取られる。

「ホントに?」
「文句でも?」
「いや、ねーけど…」

も好きだが野球だって好きだ。
だからの言葉に反論はない。反論はないのだが…。

「野球部はいつ様子見に来れるか分かんない」

出口へ向かいながらは言う。

「けど…」

一度立ち止まるとは山本を振り返る。

「山本とはこれからも一緒なんでしょ?」

そう言うとすぐには前を向いて出口へと向かう。

「…おう!」

呆気に取られていた山本だったが、直に笑顔になっての後を追いかけた。


FINE 戻る